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神の島 KUDAKA⑤

                                   
                               
                              那覇          



 
 
 県庁前では辺野古移設にからんだ政治演説をどこかの議員がしている。
 
 居酒屋の客引きがたくさんあふれ、店先にシーサーが、パワーストーンブレスが並び、沖縄民謡が店先から流れる。
  
 笑いさんざめきながら通りを練り歩く修学旅行生、カップル。
 
 那覇市国際通り。
 金曜日の夜。
 僕にとっては沖縄最後の夜。
 夜になってもやはり亜熱帯の気候で、Tシャツ一枚で十分な気温だった。
 
 国際通りを少し入った浮島通りにある、安い素泊まりの宿を予約していた。
 一泊食事なしで2500円という安さ。
 その割にはネットでのレビューがよかったから、こういうのも面白いかと沖縄最後のホテルにすることにした。

 久高島から那覇の国際どおりとはギャップがあり過ぎるかとも思うが、あの島にいたあとここに来ると、実際そのめまぐるしさは別世界のようだった。今日の朝、あの日の出を見たとは思えない。

 でも僕はあまりいらいらしたりせず、ここをなるべく楽しもうと思った。

 僕は沖縄に旅をしに来たのであって、久高島と那覇を比べるためにやってきたんじゃない。

 いい悪いじゃない。ここは、ただ、こういう音と匂いの世界なのだ。

 久高島がああいう世界であったように。
 この世界にはここの良さがあり、クオリティーがある。
 東京とも久高島とも違う、夜の匂い。

 とは言っても、僕の頭はいまだ久高島でいっぱいで、まだ心はあのカベールや、ガジュマルのT字路や、星砂の浜をふらふらしていた。
 今日の朝夜明けをカメラに収め、帰路を辿ると、一本道に車が止まっていた。その横で誰かが道に出た草を刈っている。
 よく見ると前夜食事処「とくじん」でカウンターに座っていたNPOの役員の方だった。
 
「夜明けの太陽、独り占めにしてきたか。」とその人が言った。
 
「はいっ すごかったです。」と僕はまだ高揚した気分で答えた。
 
 僕があそこに行けたのも、こうやって環境を整える島の人の地道な日々の作業があるからに違いない。
 もし久高に住むとあのような光景もいつかは日常に組み込まれて、当たり前になっていくのだろうか?
 でも僕にとってあの光景が何か特別なものであったことは確かだった。

 東京での生活のこと、仕事のこと、もと同居人のことを忘れたわけではないが、何かそれらとはまったく別の軸が僕の中に出来たような気がした。天と地を結ぶ軸が自分の中を貫いているというような感覚だ。
 僕が僕であるという感覚を、相棒との関係や仕事の役割だけでなく、あの岬にいたとき経験したものとアイデンティファイすることにより、あまり今後のことが気にならなくなったのだ。
 あの太陽はきっと思い出の中にずっと残り続けるだろう。
 
 久高の宿泊先に戻ったあとは、8時半ごろには宿をチェックアウトして、11時の船の時間までまた徒歩で北の聖域を回った。まだ行っていなかったイシキ浜などに立ち寄った。

PB130456-edit.jpg

  穀物伝来神話の残る島の東岸イシキ浜


 出発が名残惜しかった。
 なるべく長くいようとするなら13時の船でもよかったけど、あまり長居して島に慣れすぎてしまうこともまた嫌だった。
 今後、もしかするとまた何度か足を運び、いつかはそう思うようになるとしても、今は心の中の「神の島久高」を抱いて帰りたい。

  
 

 お昼前には安座間の港に着いたから、乗船所のおみやげやさんに入っていくと店員のおばさんは、僕が今から島に行くと思ったようだ。

 「いえ、今島から戻ってきたんですよ」

 「あら、じゃあ一泊とまったんですか。」

 「はい、静かで、すごくいいところでした。」

 「いいですよねぇ。私も行ったことはあるんですけど、泊まったことはないんですよ。」とおばさんは言った。

 そうか、こんな近くで働いてる人でも、そうなんだ。
 あんまり近すぎると、わざわざいつも目の前に浮かんでいるあそこで一泊しようとは思わないものかもしれない。
 夕方までは、電動の自転車を借りて、南城市のヤハラヅカサ、玉グスク、などを回った。これもみな琉球創始の神アマミキヨゆかりのポイントだ。


 
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 アマミキヨがつくったとされる玉城(タマグスク)

PB130509-edit.jpg


 アミミキヨが沖縄本島に上陸した浜 ヤハラヅカサ

 電動とはいえ3時間くらい走った。早朝5時おきでカベールまでゆき、そのあと2時間ほどまた島を歩き、チャリンコ3時間、それから一時間バスに揺られて那覇へ。かなり疲れてるはずだが、気分は高揚している。

 僕は確実に沖縄に来てから元気になってはいるみたいだ。

 国際どおり裏のホテルは、マンションのワンフロアをホテルとして使用しているような感じで、なかなかの裏通り感とアジア感が前回だった。なぜだか、岩井俊二監督の映画「スワローテイル」のことを思い出す。
 このチャラさんの歌う大好きな歌が主題歌のだいぶ前の映画ですが・・・




 写真出せばわかってもらえるかもしれませんが・・・・

 雑居ビルのワンフロアが宿泊施設になっており・・・フロントもその一室に

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 中はいると結構キレイ

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 階段からの眺め

 PB130521-edit.jpg

 なんかバックパッカーがたむろすような、アジアの裏通り感がすごいんです。

 この裏通り感は、結構絵になっており嫌いではない。

 フロントのソファにはおかみさんらしき年配の女性と、ロングヘアーの20代くらいの男性が並んで座っていた。
 おかさんにチェックイン手続きをしてもらったあと、「この辺に惣菜とか安く買える店ないですか?」と尋ねてみた。
 するとロン毛の男性が「あーもうちょっと早かったら、、、もう閉まってるやろな・・・ホテル出て、こっち行ってここ曲がると市場があって」と、僕の開いたガイドブックを覗き込み鼻を突合せた格好で熱心に教えてくれる。 
 沖縄言葉というよりも、関西弁が強いような気がする。
 しかし堀の深い沖縄顔の男性とおかみさんのツーショットはドラマのワンシーンのように異様に二人ともキャラが立っていた。
 宿のおかみさんも長年この仕事をしてるのか、フレンドリーでかつ気遣いのある感じの方だった。
 ふたりとも「スワロウテイル」に出てなかったっけ・・

 おかみさんに案内されるままフロアの奥のドアを開けて中に入ると、ドアが3つ。あと玄関のすぐ横に流しやレンジ、ユニットバスのドアなどがあった。ここは共用スペースのようだ。
 でもいったん部屋に入ると、完全に空間はセパレートしており、まあまあ落ち着けそうな感じだった。


 

 こういう感じだけど、一応部屋内は禁煙らしく、フロアにベンチつき喫煙所があった。

 出かける前に一本吸おう。ぷか~~

 しかし、今回はリゾート風のプールつきホテルから始まり、お風呂とテレビのない久高島宿泊会館、そして最後がアジアの安宿風とバリエーションが豊かである。完全に巡礼者ではなく、バックパッカー気分になってきた。

教えてもらったお惣菜やさんは残念ながらもう閉まっていたようだけど、そのままあてもなく市場を歩き回った。
 
 公設市場の中は独特の熱気であふれている。

 日本であって日本ではないような。
 そうか、これはどちらかというときっとこれはバンコクとかアジアの市場の熱気に近いんだ。
 国際通りの喧騒はそれほど好きではないけど、一歩路地を入った公設市場はたくさんの匂いが充満しており、歩いていると少しづつその空気に酔っ払っていくようだった。
 
 人の暮らしの根本的生生しさみたいなものが凝縮されて、発散されていて、静かな離島を歩くのとはまた違う意味でパワーをもらい、元気になっていくようだ。
  
 快活な声が飛び交う中、夜光貝が白い照明を浴び、豚の顔が丸ごと店頭にさらされている。
 
 PB130522-edit.jpg
 

 市場の近くで軽く食事をしたあと(また沖縄そば笑)、少し部屋で飲もうかとコンビニに入った。
 
 お酒とつまみを買って、レジの前で待っているときだった。
 
 急に背中から首の後ろにかけてが、ひりひりとしてかっと熱くなった。
  
 目もなにかずきずきと痛み始める。
 
 何?

 わけのわからない症状に戸惑いつつ、お金を払ってコンビニを出る。
 やっぱり首が熱い。一瞬日焼けの症状かと思ったけど、手で触れてみても痛くない。
 あごのあたりに何かが詰まっているような感覚。
 わけのわからない症状に、何?俺、ここでぶっ倒れて死んじゃうの?という考えが過ぎる。
 久高島の異次元感を体験したあとでは、なにかこんなことが起こるのも妙につじつまが合っているように思えてくる。
 死ぬにはタイミングはばっちりのような気もする。
 
 昔パニック障害のような症状に悩まされたことがあるので、その変形か?とも思うがよくわからない。
 いつも比較的静かな生活をしてるのに三日間動き回りすぎたので、自律神経がショートしてるのか
 もしくはエネルギースポット巡りで、気のアンバランスが生じているのか
 部屋に戻ってしばらく横になった。
 酒を飲む気もすっかり失せている。
 さっきまでアングラ的で面白く見えた高層ビルの影の部屋が、突然、うらさびしく、陰気に見えてきた。
 最後の手段・・・セルフ・ヒーリング。
 横になって、深呼吸し、手を胸や頭部にかざしていると、少しづつ気持ちは落ち着き、変な熱感はおさまってきた。 

 さらに気分を変えるためシャワーを浴びようと部屋を出て共用スペースのあたりをうろうろしてるとおかみさんがやってきた。

 「ごめんね~廊下照明が切れちゃって・・・」

 「いえいえ大丈夫です。こういうところ初めてなんですけど、面白いですよね。ネットの評価も高かったですよ。」

 「ホント?よかった。そうそう、このあと外国人の子が入って来るけど・・・大丈夫かな?」

 おかみさんが口元に指をあてて、思案顔で僕を見た。

 「あ?そうなんですか。大丈夫です、大丈夫」と僕はあまり考えず返事した。そんなことより今僕は自分の頭が少し心配なのだ。

 シャワーを浴びて、ようやく買ってきたお酒を飲む気分になってきた。
 酔いが回ってくると、不安も麻痺して普通の気分になってきた。
 いったい何だったんだ?

 隣の部屋に誰か入ってきた。
 おかみさんが言ってた「外国の子」か?
 子供がはしゃいで走り回っている。男性の声と女性の声が交錯する。
 え~ここに家族連れ??マジかーー
 どうも中国人のファミリーらしい。
 
 おかみさんに「隣に中国人の親子連れが入ってくるけど大丈夫?」ってきかれたら
 
 「うーん、大丈夫かわかりません」ていったかもしれん。

 子供は走りまわるし、大声で喋ってるし、こりゃ寝れそうもない。
 またタバコを持って喫煙所へ向かう。
 チャイニーズファミリーはユニット場バスで親子入浴してるようだ。
 なんというか、たくましい。
 どうも今夜は寝付くまでアジアンナイトが続くみたい。 

  明日はもう東京か。とうとうもと同居人から旅行中にメールはなかったけど、一応報告だけと思い、久高島の虹の写真を添付して送っておくことにした。


                                  

                             驟雨と祈り



 雨が屋根や路地を激しくたたいている。

 ざーっとひとしきり猛烈に降ったかと思うと、少し静かになり、また勢いづいて降りしきる。

 熱帯のスコールのような降り方。

 旅行中の習慣で7時前には目が覚める。枕もとの携帯がチカチカ点灯して、メールが来たことを知らせている。

 開けてみると防災速報のメールで、津波注意報だった。

 九州の沖合いでM7クラスの大きな地震があったらしい。

 再稼動した川内原発の近くだ。

 テレビをつけるとNHKではその情報を繰り返し放送していた。

 なにかパリで銃の乱射や、爆発が複数個所で起きて数十人が死亡したというニュースも流れている。
 またISISによる新たなテロなのだろうか。詳しいことはわからない。

 僕はテレビを消して、また久高島のことや、カベールの朝日のことを考えた。
 まだしばらくは平和な気持ちでいたい。
 今日は土曜日。
 沖縄に来て、四日目。
 東京も今日はきっと雨。もと同居人は今頃、仕事に出かけるころだろうか。

 もう別々に暮らし始めて、一月半くらいが経とうとしてるけど、水・木が休みで金曜から火曜が出勤という彼女のシフトは頭に残っている。昨夜、久高島の虹をメールに添付して送ると、短い返事が来た。

 来週の木曜くらいに、お土産を渡すために久しぶりに会うことになるだろう。

 もう6年も自宅に通っている、カメラを借りた利用者のAさんにはお土産のハブ酒、他のヘルパーさんにはマンゴーケーキ。時々疲れてしまうこともあるけど、本質的にはやさしくて、面白い人だ。

東京には師匠もいる。もう10年以上、節目節目で会い、力になってもらっている。

 いつもウォーキングやランニングをする小金井公園の馴染んだ木々たちの姿。

 よく窓の外で、じっとこちらを見つめて餌をねだる半野良の三毛猫みーちゃん。 

 高層マンションの向こうから顔を見せる、冬至前の太陽。
 もと同居人がくれたサンキャッチャーがその光りを分光させて、パソコンのキーボードの上に虹を落とす。
 3年間住み慣れた部屋の見慣れた朝の風景。

 何もかもうまくいかないようで、やや嫌になってた東京での生活。
 でもまた僕はそこに帰って行くこといなる。
 僕と東京を結び付けてる糸はまだ多分、切れてはいない。

 カベールのような岬も、浜もないけど、やっぱり僕はあそこでも近所のクスノキやイチョウに挨拶しながら、朝の太陽を浴びるだろう。
 不安定な気候や、政治、地殻変動の不気味なうねりを感じながらもまたなるべく平穏に心を保ちつつ生きていくことになるだろう。

 希望という言葉が見つけにくい時代にどうやら僕らは生きているようだ。

 確かにまだこの日本では、家族やパートナー、子供たち、仕事、お金を稼ぐことや、自分の楽しみ、夢を ることを生きがい、希望として生きていくことは出来るのも事実だ。

 僕らを包むマトリクスはまだ晴れた日曜のような平和さとお気楽さを残してはいる。

 しかし、3・11で起こったように、それらが大規模マトリクスの変動によってあっという間に失われるというリスクも、
また少しづつ忍び寄っている。

 気候変動、地殻変動、経済、テロリズム、紛争、放射能などによる汚染、感染症などマトリクスを不安定化する要因は無数にある。100年に一度の大雨、1000年に一度の地殻変動がごくごく短期間の間に発生しており、国家レベルでのミーティングでも「気候変動」という言葉が使われ始めた。

 これらによって、マトリクスが不安定化するとき、一種の免疫機能のように構造体の連結、統制を強化することにより崩壊を防ぐ働きもまた生まれる。右傾化、管理化、全体化、ひいてはファシズムに至る一連の流れだ。

 それらの気配もまたマトリクス崩壊と対を成すように忍び寄っているように見える。

 皮肉なことに家族や資産、身の安全など個人的「希望」を守り、安定を求める衝動がより一層の管理下を進めることもある。

 崩壊か管理化か、どちらにしろ希望は見つかりにくい。

 そのプロセスの向こう側にある、「何か」本当の光りにフォーカスする必要があるのではないだろうか。
 きっと流れてくる雲の向こうに何か大きな光りが上り始めている。

 20代に東京に来てから13年が過ぎた。
 僕自身の東京での生活も、あの夜明けのようだった。
 新たな光りが現れたと思えば、あらたな雲がたくさんやってきてそれを覆い隠す。
 その繰り返し。
 あのような夜明けが僕の人生に、あるいは僕らの世界に訪れるのかわからないけど、いつか高く昇った太陽をみんなで仰いで見たい。すべてはよかったということを確認しあいたい。
  「天と地と人が 調和してありますように」 
 そんな言葉が自然と胸のうちから湧き出てきた。 
 激しい雨はいつの間にか止んで、チェックアウトのころには青空が顔を除かせた。
 さあ、飛行機の時間まで最後の観光に出発!
 那覇は今日も夏空が広がりそうだ。

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                            神の島 KUDAKA




 久しぶりに長い文章を書いてみたくなった。

 それだけの新鮮な体験を、沖縄と久高島は僕にプレゼンとしてくれた。

 帰ったら写真は動画にして、文章はブログに出してみよう。

 タイトルはやっぱり「神の島 久高」にしよう。神の島、神々の島、くだか、KUDAKA、久高。

 帰りの飛行機が離陸するのを待ちながら、シートに座ってそんなことを考える。

 ぱらぱらと雨が窓をたたき始めていた。

 僕はまたとりとめもなく、繰り返し思う。
 タイトルはやっぱり、神の島 KUDAKA 神の島・・・
 そう何度目かに思ったときだったろうか。
 自分でも予想もしなかった。感情が胸の奥から湧きあがってきた。
 神の島・・・そう繰り返すたびに、目から涙があふれ続けた。
 ひとつの鍵盤をたたくように、その言葉を思うと涙ががどんどん溢れついには頬を伝う。
 自分でもよくわからない涙。

 また旅立つというタイミングにあわせて、この土地と僕を結びつける糸が、ぴんと張り詰めて、互いのエネルギーが共振しあう。それとも単に感傷的になってるだけだろうか。 
 どちらにしてもあまりないことだ。
 いいんだ、僕は泣きたい。
 ずっとこんなに泣いてなかった。

 帰りも、僕の隣の席は「空席」。
 いったい僕は誰と旅をしてきたのだろうか。
 もと同居人とだろうか、それとも他の誰か、僕の心に浮かぶ人すべて?
 あるいは僕自身とだろうか。
 「君が誰かわからないけど、楽しかったね。」そう空の席を見て、心の中でつぶやいた。
 
 滑走路をゆっくりと走り始めた飛行機は、やがて突然その勢いを増して、巨体を大空へと持ち上げた。
 今日は曇っていて下の風景は見えない。
 でも間もなく久高島のすぐ上空を通過するだろう。

 ありがとう、久高、神の島。

 どうかいつまでも平和とともに在ってください。


     PB140548-edit.jpg


                  


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久高島 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/12/12 20:05
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