スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

映画「永遠のヨギー」の主人公 ヨガナンダ、その生涯と系譜







 昨日、ヨガナンダの映画のことを書きました。
 でもヨガナンダて誰やねん?という方もいると思うのでその簡単なプロフィールなども書き記し、映画公開を前にしてWEB上のデータを増やしておこうかと思います。勝手にステルスマーケティングですね。

 【パラマハンサ・ヨガナンダの生涯】

 yogananda.jpg
 

 ヨガナンダの生誕は19世紀末、1893年、1月5日でした。
 出身はゴラクプールという場所で、あまり聞き慣れない地名ですが、インドの北東部にあります。
 聖なる河ガンガーの街ヴァラナシより北200キロほどに位置する、かなりネパールよりの場所ですね。

 幼少期の名前は、ムクンダ・ラル・ゴーシュ。
 家庭は裕福で、両親は二人とも熱心な神の信仰者でもありました。
 彼の両親はヴァラナシの大聖者ラヒリ・マハサヤ師(このマスターについてはあとでまた)に帰依してもいました。
 ヨガナンダは幼い頃から神への情熱と信愛に満ち溢れ、生涯を神に捧げたいという願いを持っていました。

 17歳で生涯の師となるスワミ・スリ・ユクテスワ・ギリ師と出会います。
 スリ・ユクテスワは非常に高度な存在で、ラヒリ・マハサヤの弟子でもあります。
 ユクテスワの著作は、「聖なる科学」という本が唯一日本で出版されています。

 

 ユクテスワは愛情に満ちていると同時に、とても厳しい先生でもありました。愛情と、普通の人間ならすぐに逃げ出してしまいそうな叱責でヨガナンダを指導します。師匠のもとで10年にわたり教えを受け、ヨガナンダの意識はより一層目覚め、サマーディーを経験するほどに高まりました。

 1917年、彼はインドの少年のために霊的理想やヨガのプラクティスも組み込んだ学校を設立します。この学校にはマハトマガンジーも訪れ、非常に感銘を受けました。ごくごく普通の10才にも満たない少年がヨガの姿勢で、微動だにせず長時間瞑想している姿がみられるような場所だったようです。
 その後、ヨガナンダの世界への奉仕は西洋へのヨーガの普及活動という形をとるようになります。

 1920年、ボストンで開催された宗教指導者国際会議にインド代表として出席、「宗教の科学」という講演を行い、熱烈な反響を得ました。
 そして米国にてセルフリアリゼーションフェローシップという団体を設立します。
 その後10年以上にわたって、全米で講演活動等を行います。
 当時のロサンゼルスタイムズには、「フィルハーモニック ホールでは数千人の人々による前例のない光景を見ることができます….. 告知された講演の開始時間の一時間前に3000人を収容できるホールは既に満員の状態です。」と書かれたそうで、相当な盛況がうかがえます。

 もしかすると、ヨガナンダの持ってきた東洋の叡智は、ずっと西洋の人々が自らの全体性を完成するために待ちわびていたものだったのかもしれません。 乾いた土壌が恵みの雨を吸収するように、人々はヨガナンダの教えに耳を傾けました。

 ヨガナンダの教えは、多くの著名人をも魅了しました。彼の弟子となった人物の中には、園芸家のルーサー ・バーバンク、ソプラノ歌手のアメリタ・ガリー クルーチ、コダックカメラの発明者のジョージ・イーストマン、詩人のエドウィン・マークハム、指揮者のレオポルド・ストコウスキー等がいたそうです。

 1935年、一年間ヨガナンダはインドに帰国します。
 その期間に、当時有名だった女性グルアナンダモイ・マーや、ラマナ・マハリシと会っています。
 グルのユクテスワと感動的な再会を果たして、ユクテスワより最高の霊的呼称である「パラマハンサ」を与えられました。パラマハンサは至高の白鳥を意味し、神の喜びに絶えず浸り続けるものに与えられます。

 その師、ユクテスワが肉体を離れるとき、ヨガナンダは大きな悲しみに突き落とされます。ユクテスワとヨガナンダの間にあった師弟の絆は、普通の想像を絶するほど強く信愛と尊敬に満ちたものでした。まさにヨガナンダにとってユクテスワは肉体をまとった神そのものであったのではないかと想像させます。
 
 悲しみに包まれるヨガナンダの前に、光の体をまとい復活したユクテスワが晴れ晴れとした笑顔で出現します。
 「もうお前を𠮟ることはない」というユクテスワに、「いえ、ずっと𠮟ってください」と懇願するヨガナンダ。
 ユクテスワは弟子を強く抱きしめた後、自分が今いる「ヒラニャローカ」という別の宇宙次元について彼に語り聞かせました。父なる神のもとで永遠にひとつであることを確認しあい、ユクテスワは彼の眼前から消えていきました。
 
 その後もヨガナンダは執筆活動、布教活動に生涯を捧げました。
  ヨガナンダ自身の死は、ヨーギの理想とするものでした。
 時が来たことを自ら悟り、自らの意志で肉体を離れる「マハー・サマディー」に入ったのです。
 彼の遺体には聖者特有の現象が起こりました。彼の遺体を保管する埋葬所の所長は「20日間にわたってまったく腐敗の兆候が見えなかった」ことを報告しています。下の写真はマハーサマディーに入る直前のヨガナンダです。
 
  py_last_smile.jpg



 長くなりましたが、「あるヨギの自叙伝」を読んだ記憶と、WEB情報からおおまかながらヨガナンダの生涯を記してみました。ヨガナンダの生涯を見ると、彼は特定のはっきりした使命を持って生まれてきた偉大なスピリット、「マハトマ」であったことがよくわかります。
 「あるヨギ」の中で僕が特にこころ打たれたのは、ヨガナンダとユクテスワの非常に強い愛と信頼の絆でした。
 そしてそれが、僕自身のこの本への、ヨガナンダへの信頼となっているようです。
 確かに常識を超えた超常現象もすごくいっぱい出てくるんですが、人を感動させるのはやはり究極的には愛情なんですよね。それも、単に「人と人との」ではなくそこに「神」が加わっているからこその、愛情と言うんでしょうか。
 その強烈さを感じます。


 【ヨガナンダの霊的系譜】


 インドにはグルから弟子へ脈々と受け継がれていくという伝統があるわけですが、お互いへの愛が、教えを純粋に伝えていくための媒体となっているような気がしました。
 ヨガナンダの師匠は、スリ・ユクテスワ。
 そして、ユクテスワの師匠はヴァラナシのラヒリ・マハサヤ師です。
 ヨガナンダも僕らの普通の基準で言えば相当すごいんですが、簡単に言うとその師のユクテスワが頭をたれるほどラヒリ・マハサヤはすごいことになります。なんか、銀河系で一番でかい恒星は太陽の何十倍で、しかし、それよりも何十倍でかい恒星が宇宙にはある、みたいなそういう感じで、どれくらいすごいのかよくわからなくなってきます。東京ドーム5個分はわかるけど、1000個分は比ゆとしての意味をなさないみたいなそういうとこでしょうか。あるいはべジータがびびるフリーザが強いのはわかるけど、魔人ブーがどれくらい強いかは、もはや意味不明みたいな(ごめんなさい)

 このカリン様のような神秘的な表情の人物がラヒリ・マハサヤです。
 普通にいろんな場所に出現したり、消えたりするようなマスターでした。


  8a5d0f0b.jpg


 カメラを向けても写真が写らないことが多かったようで、これは「あるヨギ」に載っている数少ない写真のひとつです。そして、このラヒリマハサヤの師匠が、あのマハーアヴァター・ババジということらしいです。

 ババジは2000年近く前に生きていたマスターで、多くの人は今でも肉体を持ち生きていると考えています。
 日本人の考えではなかなか信じられないことですが、ヨガナンダもユクテスワも物質化したババジに何度か会っているようです。
 そして、このババジの師匠は、アガスティアの葉で有名な聖者アガスティアです。

 ヨガナンダの系譜をまとめると次のようになります。


 アガスティア↓(神話時代)

 Agastya1.jpg


 ↓


 ババジ↓(西暦203年~現在)

 af346f46.jpg


  ↓ここから実在の確定的な19世紀以降の人


 ラヒリ・マハサヤ↓(1828~1895)

 8a5d0f0b.jpg

     ↓


 スリ・ユクテスワ↓(1855~1936)

 Guru_Yukteswar_400x400.png

   ↓


 ヨガナンダ(1893~1952)

img1035.jpg



 さかのぼると神話的な世界に来てしまい、それでもその存在たちが実際に今もいるということを多くの人が信じ、受け継がれてきたものを信じているということ。マスターの系譜を調べれ調べるほど、インドの奥の深さが垣間見えます。肉体の血脈だけではなく、霊的な血脈がはっきりあるということを教えてくれます。


 【おまけ】ヨガナンダ、そのマスターたちに関する参考文献


  

 
スポンサーサイト
マスターたちの系譜 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/02/15 14:04
コメント

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。