卵の中の黄身

我もなく うつし世もなくなにもかも  神の中なる 神のあらわれ  BYダンテス・ダイジ

 『マーヤに気づかないことは、垢を自分の体の一部だと思い込んでいるようなもの。』と言う言葉がこの前の修道会で出た。

 マーヤとは、神の認識から遠ざけるすべてのものを言う。

 マーヤに根深くやられないためには、

 マーヤをマーヤと認識するセンスが重要となってくるのかもしれない。

 マーヤをマーヤと認識しない限り、それは解けない。

 なぜなら、それを自分の一部、必要なものだとみなし、自分でしっかりと捕まえているのだから。

 たとえば、『自己否定』もそれが自分にとって必要な自分自身の感情だとみなしている限り、マーヤだとは思えない。

 考えようによっては『自己否定』も成長のために必要なことに思えてくる。しかし、その『自己否定』の理由と言えば、外部から刷り込まれたものがほとんどである。

 ここで通俗的『自己否定』を超克するためには、神対自己という視点が有効となってくる。
 そのような自己肯定を経て初めて、神へ自己を捧げるという真の自己否定へと至れるのかもしれない。

 母親の愛情が子供のすべてを包み込むように、宇宙のMotherはすべての存在をそのありのままの姿で抱いているであろうから。

 最近読んだ本に載っていた古歌

 恋しいと思う心は我ならで
 親の心の通いくるかな


 (子供が親を恋しいと思う心は、我が思うのではなくて、親が我が子可愛いと思う一念が通って来て、子供が親を恋しく思うのだ、という意味らしい)




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  • Author:はいたか鳥
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     卵は世界だ 
     生まれようとするものはひとつの世界を破壊せねばならない
     鳥は神に向かって飛んでいく
     その神は名をアプラクサスという


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