文明と異世界(2)

 人間にとっての異世界はいくつかのベクトルがある。
 文化によっても異なるが上方には神々や天使が存在し、下方にはサタンや魔物、死者の国があった。
 そして上でも下でもない、中間的なこの世ならざる空間には妖精や物の怪、精霊たちの世界が存在していた。
 これに加えて20世紀以降には、新たな異世界として「宇宙空間」というものが現れ、そこに住む「エイリアン」が新たな神話として登場した。

 エイリアンには当初様々なバリエーションがあった。
 小人タイプ、獣人タイプ、カエルみたいな人たち、ギーガーが描く怪物のようなやつ、アダムスキーの美しい金星人、ロボットなど。
 人間の想像力の数だけ、豊穣なエイリアン神話が生まれた。
 しかし、最近では「エイリアン」と聴いて多くの人が思い浮かべるのはあののっぺりとした顔のグレイタイプのものだろう。
 このグレイタイプのエイリアンは、牛の血を抜いたり、人を誘拐して体になんか変な装置を埋め込んだり、女性を妊娠させたりするのであまり良いイメージは付加されていない。
 この種は生殖力がもうないので、地球上の生物を利用して種の存続を計っているなどとまことしやかに語られているがそんなことが本当にあるのだろうか?
 しかし、牛が実際臓器や血を抜き取られたり、アブダクション、インプラントという現象は実際に存在している(アメリカを中心にしてだが)。そしてこの現象に遭遇した人たちが「グレイに会った」と語っているのも嘘ではないだろう。 
 
 しかし「グレイ」が実際に宇宙人であるかどうかは議論の余地があるところである。
 UFO研究家の一部は、そもそもエイリアンやUFOは宇宙人であるという「固定観念」を突破して、それらはすべて非物質的な領域に生息する住民による「茶番劇」であるという結論に達した。
 よくよく考えてみれば、家畜を殺したり、人を誘拐したり、女性を妊娠させる、これらは一昔前であれば邪悪な精霊や、妖精が行った行為である。
 精霊は人間にとって「異界」であった深い山や森、水辺に生息し、時々人里に現れて悪さをした。しかし西洋文明においてもうそれらの世界は異界とは呼べない。ならば、現代の精霊が最後に残された「宇宙の暗闇の奥」からやってきたと言うのも不思議ではないかもしれない。

 かつては妖精や精霊はあやかしの力を持っていて当然であった。
 しかし、現在はどうか?西洋文明においてそういった力は否定されている。それでは真夜中に人間を寝室から連れ出したり、牛の体から血を抜き取ったり、走行中の車のエンジンを止めたり出来る「力」は何なのか?
 それは現代人の意識においては「未知のテクノロジー」として解釈される以外にはない。
 果てしなく広がる暗黒宇宙、そしていまだ人類の手には及ばない科学技術、これらが20世紀の「異界」だったのではないだろうか。
 そして、それらが異界であるがゆえに、多くの人は精霊や妖精の存在よりもエイリアン神話にリアリティを感じるのだ。

 
 「夜中にさびしい道を車で走っていると、オレンジ色の光が俺を追いかけてきた!急に車のエンジンが止まって、ゆっくりとその物体のほうに吸い上げられていった。俺は気を失って、気がつくとベッドに寝かされ数人のグレイが俺を見下ろしていた・・・」

 と言う話のほうが
  
 「山奥にピクニックに行くと、小人が現れて、僕を彼らの住処に案内してくれました。そこで一日楽しく、歌ったり、踊ったりしてすごし、街へ帰ると不思議なことに3日も過ぎていました」

 という話しよりリアリティがあるのは、本当はおかしなことなのだ。
 異界との交流という意味ではどちらも同じなのだから。
 でも現代人は理解を絶する現象は「あやかしの力」ではなく、「理解及ばざる(物質的)テクノロジーだ」という固定観念(リアリティ)がある。
 そのリアリティが、現在「エイリアン神話」を異界への窓として機能させているのではないか。
 即物的すぎる我々の思考がグレイエイリアンを産んでいるとも言えるだろう。


 SF作家のA・C・クラークは「あまりに進んだ科学技術は魔術と見分けがつかない」と言う言葉を残している。しかし、「あまりに進んだ科学技術のふりをする魔術」というのもあってもいいのではないかと思う。

 
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未分類 | コメント(0) | トラックバック(1) | 2007/01/19 12:53
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ジョージ・アダムスキーが、1952年アメリカ合衆国|アメリカカリフォルニア州|カリフォルニアで、初めて出会った異星人が「オーソン」である。ほぼ地球人と変わらない外見で、「額が広く、外に吊り上った灰緑の瞳の目、よく焼けたような肌」をしていたと言う。他にも、テレパ