BLUE WINGS


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「解離」という心の働き

 なにか衝撃的な出来事が起こったときに、あたかもからだから飛び出して逃げようとするような、そんなこころの働きを精神医学では「解離」と呼んでいるようです。
 たとえば、病院で突然命に関わるような難病にかかっていると宣告されたとき、横断歩道を渡ろうとしたらすごいはやさで突っ込んできた車にはね飛ばされたようなとき、あるいは3・11のような大災害に遭遇したとき、「空中に引き上げられるような」感覚を体験する場合があります。そしてもう少しひどくなると、第三者的に自分を見下ろしていた、ということになるかもしれません。
 スピリチュアル的に言うならば「魂が抜けた」「体外離脱」したということになるかもしれませんが、通常の精神医学はスピリチュアルなパラダイムではないため、「解離反応」というように呼ばれるわけですね。
 
 これは動物が生命の危機に直面したとき、身を守る方法を人間が受け継いでいるとも言えます。

 基本的に生命の危機に関して、自然界ではFight or Flight(戦うか逃げるか)という反応が普通です。

 しかし、それらが出来ないときに、もうひとつ「仮死状態になる」という方法があります。

 まあ、簡単にいうと「死んだふり」なんですが・・・まったく動かないとか気絶することにより、捕食者の興味を失わせる、あるいは動いているものしか視覚で確認できない動物もいるので、動かないことにより不可視化を図ることを狙った方法です。

 解離反応も、現実から遠ざかり「仮死状態」になるという動物の本能を受け継いだものかもしれません。


 解離的イマジネーション


 自己実現系の本にはよく、自分の成功した様子をありありとビジュアライズしてください、なんていうプラクティスがよく登場します。

 僕はあれ、苦手です。

 想像力がないのかとも思っていましたが、実人生とは関係ないイメージを想像するのは楽しいし、割と得意だと思います。
 たとえば、ここらへん500年くらい前だったら、草ぼうぼうで夜中には狼の声とか聴こえたのかな、どういう風景が見えてどんな匂いがしたかな、なんていうことを気がついたら一時間くらい考えてることが稀にあります。(暇やねw)
 
 あと昔から好きな映画や漫画はSF系か、ファンタジー系か、ちょいコワ系が多かったし、今でもDVDをレンタルするときは足が勝手にそちらの方向へと向かいます。

 そんなことで気づいたのですが、人には現実的イマジネーションが得意な人と、非現実的イマジネーションが得意な人がいるのではないかと思うんですよね。

 想像力を背中に生える翼のようなものだとすると、現実的イマジネーションが得意なのは暖色系翼族、非現実的イマジネーションが得意なのは寒色系翼族とでも言えるでしょうか。

 例えばこういう映像とか感性が割とど真ん中になる





↑このアニメのタイトル「僕だけがいない町」自体に解離的感性をひきつけるものがあります。

  
 どうして翼が青いのか?


 では、どうして寒色系翼族は、現実的イマジネーションが苦手なのか、と。

 いろいろな理由があると思いますが、基本的に僕らは「世界が嫌い(苦手)」なのではないかと思うんですよね。

 ちょっと語弊がありますが、もっと正確に言うと「概念としての世界」は嫌いではないが、体感的世界は嫌い、というんでしょうか。

 熱いとか、寒いとか、体がゆるんでるとかこわばってるとか、ざわざわする、すっきりするとかいろんな体感があります。最近僕は、結局人間の幸福度とは「体感の良さ」じゃないかと思ってる部分があります。

 人と話してるとドキドキするし、いやな気分になることが多かったり、外を歩いていてもうるさくていやな感覚になることが多いとか、そういう場合は人は「交流」や「体感」の世界から遠ざかります。

 その代わりにどこに行くかというと、概念の世界、空想の世界、言葉の世界、ゲームの世界などです。

 ひどいトラウマを持って、人間を信じられないという人でも、物語の世界は楽しむことができます。

 なぜかっていうと物語は「確定的」だからです。
 それを読む人は「傍観者」です。

 誰が敵で、誰が味方か、どいつがいい奴で、どいつが悪い奴か、手に取るようにわかります。また登場人物の考えも作者が説明してくれたりします。あの人なに考えてるかわからない・・・怖い!とはなりません。そういうキャラクターがいたとしても、それはその物語中でそういうキャラであるだけで、それを読んでる自分には危害を及ぼせません。

 一方現実は「不確定的」です。
 にも関わらず「参加者・体験者」です。

 人の考えは基本わかりません。誰が敵か味方か、いい奴か悪い奴かなんて、そんなにはっきりしてません。
 にもかかわらず僕らはその不確定さの中に、飛び込む参加者であり体験者となります。
 トラウマを持つ人にとってはその「体験者」としての「不確定さ」が耐えられません。
 かつての何かの体験により「体感」や「交流」の世界は予測不能で危険なものでしかなくなっているのです。

 そのようなタイプの人、ここちよい現実体験のリソースが少ない人は、やはり自分の実人生に近いポジティブなイマジネーションを行うことは難しいのではないでしょうか。 

 ただし僕は、寒色系翼族がその傾向をあらためるべきだとは思いません。

 だって、自分自身現実離れしたイマジネーションの方が楽しいし、と思う部分もありますし、世界的な作家なども意外とこのタイプが多いのではないかと思うのです。

 彼らは体感的世界が苦手であったからこそ、完結した物語宇宙を創造しようと思ったのかもしれないからです。
 
 今日だいたい読み終えた「愛着障害」という本には、日本や海外の著名な作家の多くが幼い頃両親と生き別れたり、死別したり、養子に出されたりという経験をしていたことが書かれていました。

 例をあげると、

 川端康成→二才までに両親と死別、15歳までに祖父母も失う

 ジャン・ジャック・ルソー→誕生直後に母を亡くす

 夏目漱石→一才で養子に出される

 「愛着障害」とは両親や養育者とうまく愛着関係を築けなかった子供に残る情緒的なパターンで、最近「発達障害」と並んで結構、注目されている概念です。 

 そのパターンは主に回避型と、不安型のふたつで、回避型は人との接触を避けて孤独を求め、不安型は依存対象となる人を求め、人からの承認に飢え、人からどのように見られるかが異常に気になります。

 そしてこの混合型というのもあり、それは

 「対人関係を避けてひきこもろうとする人間嫌いの面と、人の反応に敏感で、見捨てられ不安が強い面の両方を抱えているため、対人関係はより錯綜し、不安定になりやすい。

 一人でいることは不安で、人と仲良くしたいと思うが、親密になることで強いストレスを感じたり傷ついてしまうという矛盾を抱えている。それは人を信じたいが信じられないというジレンマでもある


 という非常に面倒くさい感じですが、なんか自分はこれタイプかもと思いました。というか俺まんまやん・・(^^;っていう
 いやーきついんですよ、思春期から結構。

 ま、それはちょっとおいといて

 著者によると世界的な作家でむしろ愛着障害を抱えていない方が少数だということでした。

 愛着障害による苦しみが、創造の源にもなっているのではないかという見解でした。まあ、これはさっきの「想像」の話しともかぶるのですが、この世界が心地よければ、孤独に内面を表現し続けるような活動を続ける原動力はなかなか湧いてこないのではないかというのです。

 この世界でイケイケなら、想像の世界、アートの世界などに行くモチベーションがない、とまで言うと言い過ぎでしょうが、「ここ嫌、別の世界見たい」という想いが大きなモチベーションになることは確かでしょう。

 ちょっと驚いたのは「果てしない物語」「モモ」で有名な、僕の敬愛するミヒャエル・エンデ氏も家庭環境がなかなか複雑で愛着障害を持っていたのでは・・・と書かれていたことでした。
 うーん、エンデって僕の中ではすごい健康的なイメージだったんですけどね。やはり物書きはどこか内面にダークサイドがある方が力が宿るのかもしれません。
 その自分のなかの「闇」に完全に飲まれてしまうと、自滅的なタイプの作家になりますが、エンデなんかは割りと創造活動の中でそういう内面の光と影のバランスを見出しているのかも。





  バランス~虹の翼~ 


 ざっくりわけるとこういう感じになるんでしょうか?


 暖色系翼→実人生、お金、愛情、仕事、健康、ヒューマンドラマ、ラブロマンス、動物、自然、地上、受肉


 寒色系翼→非現実、ファンタジー、別世界、仮想の動物、惑星、国、遥かな過去、未来、宇宙、脱魂


 まあ、これは仮説なんですが、


 現実キライ、世界怖い・不快、疲れる、痛い、うるさい、人間イヤ
 
 という良い体験の不足が、青い翼を発達させる可能性はあると思います。
 つまり魂が体をぬけだすような、解離したイメージを好むということです。

 このこと自体は悪いことではなく、実際におそらく僕らの故郷はここではありませんし、何がなんでも受肉やグラウディングをせねばならないというものでもないだろうなと思います。
 しかし、ここでの活動レベルをあげようと思うのなら、「体感」や「交流」の世界により多く飛び込んだり、暖色系イメージにより多く触れるというのも必要ではないでしょうか。

 僕はこの自分の想像力の性質に気づいてから、あえて、ヒューマンドラマをレンタルしてみたりしましたけど、結構面白かったです。↓この黒人の家政婦さんが主役の映画はシリアスな内容だけど、超笑えるシーンもあり、面白かったです。↓



1960年代のアメリカ南部。大学から故郷に戻った作家志望のスキーター(エマ・ストーン)は、“ヘルプ"と呼ばれる黒人メイドを差別する白人上流社会に疑問を抱き、メイドのエイビリーン(ヴィオラ・デイヴィス)に取材を申し込む。初めは頑なに断るが、親友のメイド、ミニー(オクタヴィア・スペンサー)を巡るある事件をきっかけに、重い口を開きはじめるエイビリーン。社会からの報復を恐れながらもスキーターの執筆に協力する彼女たちの“心の声"は、やがて一冊の本となり世の中に驚くべき変革をもたらすことに―。
NYタイムズ紙書籍ランキングNo.1のベストセラー小説を、実力派女優たちが見事なアンサンブルで織り成し、アカデミー賞(R)助演女優賞をはじめ、全米の映画賞を席捲した感動の物語







 そしてなぜか、「大草原の小さな家」DVDセットを去年の年末に購入してしまいました。



 なんでや??と自分でも思いますが、小さい頃TVで見てあんまりストーリーを思い出せなかったのでもう一度見たいとポチッとしてしまいました。
 
 ローラたちがパパやママに抱きしめられてうれしそうに笑う映像を見てると、自分にも暖色系翼があることがわかります。今から見ると素朴な作品です。でも、ぶっ飛び系の作品とはまた違った脳の部分が刺激されてよいです。

 そして愛情とか、ハグというのが飛んで行こうとする魂をひきとめ、僕らを肉体に根付かせる受肉化の必須要素かもしれないなと思いました。

 いろいろなイマジネーションに心を開いて、翼を虹色にしたいなとか思う今日この頃です。

 あとこれは昨日見た養護施設のドキュメントですが、高校生の女の子が絵を描いてるときは何もかも忘れられる、と言っていたのが印象的でした。過酷な現実に生きる人が、イマジネーションの世界に出かけて、そこを開拓し、その果実をこの世界に持ち帰るという循環は普遍的なものかもしれません。


 

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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/03/15 20:33
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