神は細部に宿る




  ここのところ、微細な、あるいは「少し」のエネルギーが実は一番大事なのではないかと思わされることが多い。

  きっかけはこの本に「神は細部に宿る」という言葉が出てきたことだった。





  本文中のエピソードで、音楽家の女性がバイオリン(だったかな?)でとても美しい曲を奏でているのを耳にして著者がなんて美しい曲なの!と言うと、「私はただ音階を弾いていただけよ」という返事が返ってくる。そして「世界一美しい曲だと思うわ」という言葉も。

 この会話にあるように、本当に自分が好きなことであれば、それの「少し」「細部を」愛をこめて楽しくおこなうことができるという話だった。だから少量から始めたり、それを愛することが大事なのだと。

 それは結構なるほど~と思わせる話しで。

 たとえば400字の物語を一週間に一枚書いても、作家になるには程遠いかもしれないけれど、「あなた自身は確実によくなっている」という著者の考えも述べられていた。

 僕らはとかく、結果を気にしてしまいがちで、こんなことやってもどうにもなるもんじゃないと思ってしまうこともあるけど、小さな行為の中にちょこんとひそんでいる愛や喜びを大事にすることのほうがいいのかもしれない。

 もちろん、目標ってのも、大事ではあると思うけど。
 ただどでかい目標を立てるほど、結果志向にはなりやすいですね~
 ちゃいますかね。
 そうすると、その目標に向かってトンネルの中を進むような生き方にもなりやすい。
 確かに先に明かりは見えます、でもその間視野が狭まるかもしれません。
 足元にきれいな花が咲いてるかもしれないのに。

 しかし、まず小さいことから始めてみると、気が付けば数時間没頭していたということもあるので、、、これはなんというか、小さい振動が徐々に増幅して大きいことを成し遂げるエネルギーを発生させたということですね。

  だからとりあえず、「少し」を楽しんでやってみるというのは可能性につながる場合もある。
 自然な感じです。だから、「少しだけ」することが勧められてるんだと思います。
  結果志向ではなく、そこに宿る喜び重視。


 ここでは話題はやや変わりますが

 かすかな、ひそやかな振動、ということで言えばトマティスの発声法CAVのワークを受けていると、「とにかく小さく自分に優しい声」を最初出すように教えられる。

 これは自分とのコミュニケーション。

 ほとんど聞こえないようなハミングで、背骨をなでていくような感じ。
 微細な音には自分の心拍の振動も混ざり、それが自然と共鳴するような音をも作り出すという。

 講師の方とほかの参加者の前で、机に座ってハミングするんだけど、自分的には「こんなんで聞こえてるのかな?」というくらいの音でも意外と届いているようだった。
 
 まあ、ボイトレ先生にも「でかい声と響く声は違う(=゚ω゚)ノ」と何度も言われてることで、カラオケなんかでついつい馬鹿でかい声で怒鳴るように歌いそうになると、「あ、これ違うな」と思う。

 2回ワークショップに出ただけなのでちょっとまだCAVのエッセンスは体感しているとは言い難いけど、微細な振動が重要という考えは忘れずにやってきたいと思っている。

  また少し話題が変わりますが

 意識の振動ということになると、脳波では、ガンマ波→ベータ波→アルファ波→シータ波→デルタ波 の順で振動が遅くなっていることが知られれている。興奮状態や外部に注意が向いてる状態から、リラックス、より内的で、眠りや夢見、熟睡の方にいくと振動が遅くなる。

 瞑想の目的のひとつはおそらく、普通なら眠っている振幅の小さな意識状態を目覚めて体感し、みつめる、ということにあるのだろう。そこではとても平和できれいなイメージが浮かんでくることもある。

 それはシータ波やアルファ波と同調して出現するイメージだ。
 さっきまでイライラしてたあとに瞑想すると、そのイメージに触れた時に「あ、この感覚忘れてた」と思うことがある。
 草原や海の風景など、あるいは光のイメージ

 本当はそんな平和な気持ちで日常を生きられればいいんだろうけど、なかなかそこまでの境地には至っていない。
 
 微細な意識ではないととらえられない安らぎの感覚があるという意味でも、「神は細部に宿る」という言葉を解釈することもできるかもしれない。

 古来から聖者が静かな生活を勧め、粗大な刺激を避けるのは、おそらくシータ波、アルファ波の意識世界と同調して生きるためだと思われる。そこは葛藤のない平和な世界だからだ。たぶんそんな難しいことじゃなく、みんな眠りの時に体験している。

 まあおそらく万人が、そういうのを求めてるわけではなく、大きな苦悩、快楽、騒音などからくる興奮、狂乱状態を潜在的、意識的に追及している場合もある。

 大音響のハリウッド映画を見て、フリーフォールで絶叫して、ゾンビを打ち殺すゲームをして、セクシャルな刺激に興奮して、焼肉屋でビールで乾杯して大声で友達とはしゃいで、ぐっすり眠るのが大好きだということもあるだろう。
 というか、それこそが生きることだというポリシーもあるかもしれない。

 大多数の人は完全な僧侶タイプでもない限り、大きな振幅とゆるやかな振幅とどちらも求めている。

 まあどっちにしろ、最終的には寝るわけです(笑)そこで意識の死を経験することが、人間にとってエネルギーを充てんするのにかかせないのかもしれない。

 たまに覚醒者に寝ない人がいるのは、あえて眠ってデルタ場に行かずとも、常に平和の中で生きているからでしょう。

 どのような刺激を求めても、人に迷惑をかけてなければ個人の自由かもしれないけど、自分が何を求めているのか?を問う必要はあるように思う。平和か、葛藤と興奮か。

 平和が好きならば、粗雑な刺激の中でそれを忘れ去ってしまわないようにしなければならない。

 僕の場合は、アップテンポの歌を聴いたり歌ったりするのも好きだけど、瞑想の中で触れるような平和の感覚も好きなので、静かな時間も大事にしたいと思っている。

 そのうちグレゴリアン聖歌しか聴かんようになるんかな。いや、それもどうなんっていう・・葛藤が(笑)

 神は細部に宿るっていうのは多分、ホント。

 そしてそこにはきっと穏やかな喜びと平和がある。


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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/10/04 18:45
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