フィールド<場>のマジック ④


  個人的背景


  前回、<場>はどのようなもので構成されるか、それぞれの<場>にはそこで使われる特徴的な言語があることを書いてみました。

 ここで私的なことを書きますと・・・

 <場>の思想のようなことを考え始めたのは、生活が大きく変わり、また一人暮らしに戻ったことと関係があると思います。
 
 
 その変化の中で、正直結構自分を見失ってたというか、路頭に迷ってた感があり、その辺いまだ渦中にいるって感じもあるんですけど

 そのプロセスの中で様々な<場>に入っていきたいという衝動が強くなり、実際いくつかの<場>を新たに経験しました。

 
 それはボイトレ先生のスタジオの雰囲気であったり、コーギーが気持ちよさげに横たわりアロマのいい匂いがたちこめるカウンセリングルームの雰囲気であったり、
 五月の空の下パンティーが空を舞うレインボーフェスの猥雑でなんでもありな雰囲気であったり、なぜか仕事で何度も行くことになった女子大のにぎやかな雰囲気であったりしました。

 ヨガや瞑想、内省でマイフィールドを確立しつつ、いろんな<場>に出入りして、そこに依存しすぎたりからめとられずに必要なものを吸収できる柔軟性のようなものを
 追求していたのかもしれません。  
 
 去年とかはやたらと山歩きしたり、自然のフィールドに触れたい感が強かったんですが、その辺今年はほぼゼロになってしまいました。
 雲取山に登るつもりがいまだ未登攀でございます。

 さびしさもあるのか、一人で山奥に入って行ったりする気がまったくせず、むしろ都心部の新しい美容室を開拓したりといった衝動の方が強くなってしまった。

 あとカラオケボックスに頻繁に出入りしてマイクを使わないことが多いので、生声の音を吸収してしまう部屋と、適度に反響する部屋があることにも気づいたりしました。
 防音のためでしょうか?音、吸収する部屋で生声で歌うのって、すげー変な感覚になるんですよね。
 あんまり反響しすぎるお風呂みたいな空間もちょっと練習には適さないと思いますが。
  

 いやー人間てわからないですよね。
 自分のことでもなかなか。
 去年くらい、山登り、自給自足、などワイルド系に興味があったのに。

 でも雲取も行きたいな~誰か一緒に登ってください(〃▽〃)
 
 またこの先志向性は変わるかもしれませんが、どっちかというと現在は都市型パターンにはなってる気がしますね。
 いいのかな~、
 まあ今がこうなので仕方ありません。 

 という事情がバックに存在する一連の考察でございます。



 解離について


 今回は「解離」というSEのタームから入ろうと思います。

 SEだけではなく、精神医学的なタームと言った方がよいでしょうか。

 解離性障害という言葉があります。

 解離性障害とは

 自分が自分であるという感覚が失われている状態といえるでしょう。
 たとえば、ある出来事の記憶がすっぽり抜け落ちていたり、まるでカプセルの中にいるような感覚がして現実感がない、いつの間にか自分の知らない場所にいるなど、様々な症状があります。
 こうした中で、自分の中にいくつもの人格が現れるものを多重人格障害(解離性同一性障害)といいます。
 ある人格が現れているときには、別の人格のときの記憶がないことが多く、生活面での様々な支障が出てきます。
 これらの症状は、つらい体験を自分から切り離そうとするために起こる一種の防衛反応と考えられています。
 治療では、安心できる環境にすること、家族や周囲の人が病気について理解することがとても大切です。

 症状

 解離性健忘:ある心的ストレスをきっかけに出来事の記憶をなくすものです。多くは数日のうちに記憶がよみがえりますが、ときには長期に及ぶ場合もあります。

 解離性とん走:自分が誰かという感覚(アイデンティティ)が失われ、失踪して新たな生活を始めるなどの症状を示します。学校や職場において極度のストレスにさらされ、しかもそれを誰にも打ち明けることができない状態で突然始まり、それまでの自分についての記憶を失うことが多くみられます。

 カタレプシー:体が硬く動かなくなること。

 解離性昏迷:体を動かしたり言葉を交わしたりできなくなること。

 離人症:自分が自分であるという感覚が障害され、あたかも自分を外から眺めているように感じられます。

 解離性てんかん:心理的な要因で、昏睡状態になる、体が思うように動かせなくなる、感覚が失われるなどの症状


 以上厚労省 HPより

部分的に記憶や、見当識(今がいつでどこにいるのか)が失われる、現実感がなくなるというような症状ですが、ひどくなると多重人格障害のようなかたちになることが知られています。
 「24人のビリーミリガン」で有名になりました。以後ドラマやアニメ、映画の素材としても多く使われています。




 というとなにやら特殊なことのようですが、SEの開拓者リヴァイン博士によると、「解離」は誰もが頻繁に経験する状態だそうです。
 一時的に上の空になったり、ひどい忘れっぽさは解離と関係があることが多いようです。
 簡単にいうとぼけーっと「お留守になった状態」。
 もう少し強度になると、車に跳ね飛ばされてる自分を、他人事のように恐怖もなく客観的にみつめてるような状態です。

 博士は解離を、「フェルトセンスの継続の一時的崩壊」と定義しています。

 フェルトセンスとは体感覚ですね。より詳しい定義は以下のようなものです。


 身体や体験(の一部)と人との間の根本的な断絶です。考えられる断絶は以下の通りです。


 1意識と身体

 2頭や手足など身体の一部と、残りの身体

 3自己と感情、思考、または感覚

 4自己と出来事の一部または全体の記憶


 解離は激しい恐怖や激憤(SEでいうところの過覚醒)から人間を守る働きがあります。

 つまりある程度以上ストレスの域値を超えると、意識を失うか、感情や肉体との接続をOFFとすることで麻酔状態に移行するのです。
 虎に食べられる草食獣はこのようなメカニズムが働き、苦痛を感じることはないそうです。


 僕はこの解離症状がちょっと標準よりも多く出ることがあり、特に疲れてる時などは自分でも考えられない間違いをよくやったりします。
 眼鏡をかけつつ、眼鏡探してるみたいなそういうレベルの勘違いといいますか・・・
 
 天然キャラだと思われ、ちょっと場がなごんだりするのはいいんですけどね・・・

 しかし自分でもひどいと思ったのは だいぶ前ですが、友人が二人ほど泊りに来まして、2,3日行動を共にすることになりました。
 それが結構しんどくて、だんだん疲れて、ぼーっとしてきてしまうんですね。
 この疲れは僕的には非常に気持ちの悪い疲れです。
 からだの芯から疲れていくような、しおれていくような。たくさんの人と長時間一緒にいるとそういう感覚によくなります。
 で、ドライブがてらコンビニに寄ったんですが、そこで商品をみてるうちに、一瞬、あれ?と思って

 ほんの数秒のことですが、自分がどこにいるのか、どうしてここにいるのかということがわかんなくなっちゃってたんですよね。
 すぐにもとに戻ったので、パニックにはならなかったですが、誰にもいうことはなく
  
 ぶぶーっとまた車が走り出した後、バックシートで

 「いやいや、これヤバくね?」とやや自分が心配になったのは覚えています。

  
 あとまあ、例えばあとでビール飲もうと思っててなんだかんだ雑用をやってて、全部終わってふーっと自室に戻るとテーブルにビールが置いてあったりだとか

 冷蔵庫あけてとった記憶、まったくないのにですよ。まるで、誰かが用意してくれたみたいな感じです。

 いや、ホント、誰が置いてくれたの?って感じなんです。


 こわっっと思いますよね。

 こういうエピソードは、 

 4 自己と出来事の一部または全体の記憶の断絶 これにあたるのでしょうか



 まあ、このレベルのことは年に一回、あるかないかで、生活に支障がでるということはほぼありません。

 そして何が効いてるのかわかりませんが、ひどい解離症状は最近少なくなってきてる気はします。  
ヨガとかウォーキングとか社会参加がいいのかな。 

 だいたいニュアンス的には<解離>の感覚おわかりいただけたかと思います。

 リヴァイン氏の著作に、一時的に解離状態を体験するエクササイズも載ってるので、引用したいと思います。



 幼少期に繰り返しトラウマを受けた人は、この世に存在しやすくするための方法としてしばしば解離を身につけます。
 彼らは常にたやすく解離し、しかもそれに気づいていません。
 習慣的に解離しない人でも、覚醒したり、不快なトラウマのイメージや感覚を持ちそうになると解離します。
 どちらの場合でも、解離は、未解放の覚醒エネルギーを私たちが完全に体験せずにすむという点で貴重な役割を果たしています。
 同時に解離は、フェルトセンスの継続性を妨害し、そのことによって、トラウマを受けた人がトラウマ症状の効果的な解決に取り組むのを妨げてしまっています。
 ここで大事なのは解離を取り除くことではありません。
 解離に対する気づきを高めることが大切なのです。


 
 エクササイズ


 これは、解離がどんなものかを感じていただくためのエクササイズです。

 椅子に楽に座って、

 自分が湖に浮かぶボートに寝そべっていると想像してみましょう。

 自分が浮かんでいるのを感じ、それからゆっくりと自分の意識を身体の外にだしてみましょう。

 ゆっくりと上昇する風船のように、自分を空まで浮かび上がらせて、下に座る自分を観察してください。

 それはどんな体験でしょうか?

 体を感じようとすると何が起こりますか?

 解離の感覚をつかむために、身体と、浮いてる感覚の間をさらに行ったり来たりしてみてください


 このエクササイズは、簡単にできると思う人もいれば、非常に難しいと感じる人もいます。
 すでに述べたように、トラウマ症状は狭窄や解離を中心として体系づけられています。
 当然なことながら、解離症状を好む人は、狭窄を好む人よりも解離のエクササイズを簡単だと感じます。


 リヴァイン博士がわざわざ解離のプチ体験の方法を書いてるように、解離が必ずしも有害ではなく、要はそれに気づくこと、明晰な意識を保ったままでいること
 のようです。


 スピ系の本にも出てきそうなエクササイズですよね。 

 僕は楽しいことをイメージする、とかよりも、こういう脱け出す系のイメージをした方が落ち着いて眠りやすくなります。

 肉体がないというイメージは、やはりすっきり気持ちいいと感じます。



 <場>からの解離と、離脱の効用、その副作用


 スピリチュアル系のタームに詳しい方は、解離って「体外離脱」みたい?って思われるかもしれません。

 その辺のことを少し。

 結論からいうと、関係なくはないみたいですね。

 SEはあくまで科学的、生理学的なパラダイムの中での理論なので博士の本の中にはスピリチュアルな意味での体外離脱ということは書かれていません。

 しかし、どうも幼児期に過酷な体験をした人たち、被虐待児の経験がある人、などに霊能力や、体外離脱能力、あるいはUFOによるアブダクションケース(ホント)が頻発するというような
 統計があると聞いたことがあります。

 これをどのように解釈するかですが、人によっては、そのような幼児期の体験が脳に妄想や幻覚を起こさせると考えるでしょう。
 
 トラウマケアルームのHさんはスピ系畑の方なので、小さいころ、おなかにいるころから解離状態で、あちら側に戻る習慣がついているため・・・と解説されてた気がします。

 僕もそちらの考えで、この世界での生きづらさが、このフィールド<場>からあちら側の<場>へと抜ける癖、離脱する癖、お留守にするクセをつけるという考えに賛同します。

 つまり<解離>というのは、心身医学を越えた、心身魂医学が発達して初めてその全貌が明らかになるのでは・・と思うのです。

アルコール依存症の両親に育てられたというような場合。

 父、あるいは母はいつもは優しく、面白いのですが、いつ酒を飲んで人が変わったようになるかわかりません。

 泥酔すると、ものを壊したり、激しく子供を罵倒したり、暴力をふるいます。

 そのような環境で子供は安心することができません。

 言い換えれば、親との間に安定した愛着関係を築くことができないのです。

 それはつまり、家庭という原初のフィールド<場>に接続できないことを意味します。

 子供は親の顔色を必死に読んで、専守防衛に心がけるか、あるいは、意識をその場から抜いてしまいます。


<場>から意識を抜くということは、多くの場合、自分自身の肉体・感情・思考・記憶などとの接続も切ってしまうということです。

 つまり、問題のある家庭で育つということは、自分自身との接続不良を生むのです。

 それはあとから述べます自分自身の磁場、<マイフィールド>に欠損を生じさせるということです。

 一方で解離による逃避先が、霊的世界であれ、文学であれ、学問であれ、発明であれ、音楽であれ、アニメであれ・・・・(このような、個でも充足できる領域が避難場所となります)
 
 生きづらさにより、<解離>をよく体験してると、多かれ少なかれ、二重意識がつよくなりシャーマニックになる可能性があります。

 ていうことはそのような過酷な環境に生まれるのを選んだ子供たちは、あちら側と、こちら側を行き来することにより、ふたつの世界の橋渡しをするという使命のために

 そのような生きづらさという通過儀礼を選択したのかもしれません。

 
 
 有名な作家にも愛着不安を抱えた人たちが多いそうです。
 そして、どうも、家庭や、社会という<場>との結合不全感自体が、創作の原動力になっているような気が僕にはするのですが・・・。
 しかし、そういうタイプの作家は常に孤独との戦いであろうと思います。
 人間はどうしても愛情なしにはやっていけません。
 というかそもそも哺乳類は、十分な肉体的・感情的接触なしでは発育ができないのです。
 生理学的なレベルで、ふれあいの中などで放出されるオキシトシンなどのホルモンがないと、人の心身はうまく機能しません。
 そのため孤独を創作の原動力として名をはせても、からだが感じる孤独の感覚のリアルさに押しつぶされ自殺する、
 薬物に溺れるというようなことになりやすいのではないでしょうか。


  このように原初の<場>である親子関係、家庭との接続不良は何かある能力を先鋭化させる可能性はあるけど、同時に心身に大きな負担をかけるもろ刃の剣パターンといえる
 かもしれません。
  肉体をもってバランスのとれた人生を生きたいなら、原初の<場>との接続不良によって欠損している部分を癒していく必要があります。 


 一方比較的安定した愛着関係の中で育った場合、(欧米の統計では愛着が安定している人は約60パーセント、残りは程度こそ異なれ不安定型らしいです) 子供は両親のフィールドに安心して包まれつつ、家庭という原初の<場>に根をおろします。

 安全感、安心感、愛され感、ひとりではない感覚が、ありのままの自分を受け入れさせ、肉体・感情・思考のバランスのとれた統合体とする。

 その原初の<場>での安心感は、学校や友人関係など、他の<場>でも再現されやすく、また苦難に陥ったときでも安定した<場>でリラックスしていた記憶が、 困難を乗り越える際の燃料となってくれるのです。
 

 おまけ はいたか流解離?方法


 リラックスしている自分の体が、光に包まれ徐々に振動数(エネルギー)を高めていくとイメージします

 体中の細胞たちが光の中で覚醒していきます

 十分に振動数が高まると、肉体は光の中で消えてしまいます

 あなたは部屋の中にいますが、あなたの肉体は消えてしまいました 

 肉体がなくなるのはどんな感じでしょうか?

 その感覚を感じたあとに、意識を少しづつ上昇させます

 あなたは時間と空間を俯瞰できるスペースへとたどり着きました

 ここはとても安全な場所です

 あなたを守り笑いかける意識体が周囲には大勢いるのがわかります

 それはあなたにとても近しい存在たちのグループです

 ここからあなたは時空の任意の点へと、どこでもアクセスすることができます

 意識体のまま、行くこともできますし、物理次元で好きな形の肉体を物質化することもできます

 りりしい男性にも美しい女性にも 子供にも若者にも老人にもなれます
 
 その姿で 

 大昔の地球の海辺に立つことも、現代のニューヨークやパリに行くことも自在にできます

 未知の星の世界に行くことも 無条件の愛が満ち渡るスペースにとどまることもできるのです

 好きな場所でしばらくこころを遊ばせ、有意義な経験をしましょう

 そして十分楽しい経験をしたあとに、あなたの部屋に戻ってきて、ふたたび自分の肉体をこの次元で物質化させてください

 ゆっくりと深呼吸して、からだの感覚に耳をすませましょう



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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/10/17 17:16
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