Spirituality と、その他の欲求(必要性)②

  (続き)

  さてこれなんですが

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  米国の心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって成長する生き物である」という仮定のもとにつくりあげた、モデルの図として大変よく知られています。   

 見ただけでだいたい意味がわかるので、詳細な解説などははぶかせていただきます。というか、僕もマズローの原典を読んだわけではないのでパーフェクトに理解してません。 

 まー下から上に向かってだんだん欲求が進化していく感じ?(雑すぎる解説ね)

 これ見ると、安全欲求が満たされていないと、社会的欲求は出てこないのか?とも思いますが、マズローによると、というかウィキペディアによると、ある程度の充足があれば次の段階の欲求へと進んでいくらしいです。

 僕はこの階層モデルが正しいのか、ちょっと疑問点も多々あるのですが、人が求めるものを図示したものとしてとてもわかりやすいと思います。

 昨年に読んだヨガナンダの成功哲学の本に、こんなことが書かれていました。






 「成功を求めるなら、人は単に欲しいものではなく、真に必要とするものに集中しなければなりません

 (中略)

 あたなたのなければ困るという真に必要とするものは何か。

 身体、心、魂のための食物、家、繁栄、健康、集中力、記憶力、思いやりの心、友人、智恵、至福などは、人にとってなくてはならぬものです・・

 他者を霊的に幸せにするために、質素な生活、高邁な理想、内側の本当の喜びを育むこともまた真に必要なものです。 

 
・」

 このヨガナンダの言葉は、欲求のピラミッドのかなり広範囲、ボトム部分からトップ部分にまで及んでいます。

 人にとって欲は異なります。

 たとえば僕は車やバイクににほとんど興味がないので、金あったらフェラーリにのりてーなちくしょーとかは思わないんですが、お金があれば小型飛行機の免許とかはとってみたいと思うかもしれないです。

 山に登るのが好きな人もいれば、海の深みに潜ってみたい人もいます。建築設計に情熱を傾けられる人もいれば、どうすればオリジナルラーメンの味を高められるかで徹夜できる人もいるでしょう。こんな風に、違いを見れば人間ってバラバラなんですが、根源的欲求や必要性という点から見るとまったく違いはないとこの頃気づきました。

 すべての人が求めるもの それは自分や家族友人の

 ■心身の健康 

 ■ある程度の豊かさ

 ■愛し愛されること 

 ■自分の能力により世界に貢献できること

 この辺に凝縮されると言ってもよいのではないでしょうか。
 心あるラーメン屋さんは、お客さんにラーメンを食べて元気になってほしいでしょうし、心ある設計士さんは自分が設計した家に住む人がハッピーであってほしいはずです。

 自分は「病弱で、貧乏で、一人ぼっちで、役立たずなのが好きなんです」と心からいう人は皆無だと思います。 

 もしあるとすれば、うーん何か特殊な主義信条に従っているのか、超絶的M気質であるか?

 望まずそのような状況に陥って、「あー私はこの状況を受け入れ愛します!」と想うことはあると思います。でも誰も最初からそれを目指す人はいない、ですね。すくなくとも意識的には。

 無意識の信念、カルマ、成長のプログラムなどの部分で考えればまた違うのでしょうが。

 健康、愛、豊かさ、貢献、などこれらは欲求のピラミッドでは、ボトムの上~ミドル部分に対応すると思います。

 もしかしたらチャクラなどとも対応可能かもしれませんね。
 
 えーとそれで僕個人もボトム~ミドル部分をもう少し改善したいと思っております。

 さて、先日師匠が夜の集いで、「人間にとって一番大事なのは食うことっ!」と力説していたのを聴いたのですが、「食べる」はピラミッドの最ボトム部分。

 睡眠、性、などと並ぶ人間の3大生理的欲求のひとつです。他にも呼吸、排せつなど
 ここがないとそもそも生きていけないので、土台として一番大事といういい方は確かにできるかと思います。

 師匠の話しを昔から聞いていて、「食べ物は自分たちでつくるもの、この社会の立て直し方はそこからやるべきだと思う」という考えを知ってるのでそんなに違和感はありませんでした。

 それが結局、師匠のコミュニティファームづくりビジョンなどとも関係しているのだと思います。

 そのことでちょっと思うのは、(ここからこの記事の本題ですが)・・・

 ここでいったん終わりっ!w



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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/01/07 19:23
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