Spirituality と、その他の欲求(必要性)③

  (続き) そのことでちょっと思うのは、ミドルからトップ部分の欲求を充足させるマニュアル、あるいは処方箋というのはたくさん出回っているということです。

 心身の健康で言えば、ヨガやピラティス、気功、その他の運動、各種食事法、各種セラピー、ヒーリング、薬剤、

 愛情欲求であれば、どうすればモテモテになるかというようなものから、対人関係の築き方、運命の人と出会う方法、

 自己実現‐自己超越であるならば 各種成功哲学、各種組織宗教、人生論、など様々です    

 個人的には、霊性、心身の健康、愛情・人間関係、豊かさ、ライフワーク、楽しみ・趣味 などの部分にトータルに意識的であることがバランスよく生きるために必要ではないかと思うのです。
 よく言われることですがどこかの部分が他よりも整っていないと、そのより低い部分のレベルに応じてしか人は生きることはできないという・・・これは事実ではないでしょうか。
 
 非常に有能な人でも、インナーチャイルドが常に泣いていると、私生活で人間関係を築くのが難しくなります。からだのエネルギーが低すぎると、天才的アイデアがあっても思うように動けません。
 霊性があまりに閉じていると、肉体と物だけがすべてで、互いにバラバラに意味なく存在しているということになり、限界ある物質的次元でしか物事を考えることができません。
 そのようなことですが。

 ですので、仮に人生学校のようなものをつくるとすれば、ホリスティック(全体論的な)なアプローチが必ず必要になってくるはずです。現代の学校教育で教えられるものは、かなり局所的な人生の断片なので、いろいろな弊害が生まれてるところがあります。

 でも、こんな風に情報自体はたくさん出回っているので、自分にあったもの(足りないもの)を取捨選択する能力があれば、バランスをとりもどして全人的なありかたを目標に生きていくこともできるはずです。

 ただ、これらはすべて現在の経済システムのボックス内でうまくまわることができる「商材」でもあり、そのため流通に乗りやすい性質があるものかと思います。それ以外のものは盲点に入って見えにくくなるのですが、それがピラミッドのボトム部分、呼吸であるとか、食、そして安全などです。

 まだまだこの国では、どうすれば食べ物を得られるかということよりも、どうすればお金持ちになれるか、どうすれば人気者になれるかという類の情報の方が魅力的に映ります。

 というのは、とりあえずはスーパーにでもいけばなんらかの食べ物は低価格で売ってるからですね。
 同じようにシリアとか、最近テロがあいつぐトルコ、ヨーロッパなどに比べると安全感もまだまだあります。

 だからどうすれば、食べ物を得られるか、どうすれば平和でいられるかということにはまだそこまで欲求がたかまりません。

 でも、ここんところ庭で野菜つくったりしてる人は増えてるみたいですね~ 
 僕も前の家ではじゃがいも植えたりしてましたけど、
 自分の部屋の真ん前の地面で食べ物が成長してるっていう感覚は、結構わくわく感がありました。
 庭がなくてもベランダでプチトマト作ったりとか、っていう方も多いみたいで、楽しそうです。

 師匠みたいに、コミュニティファームを作るというビジョンを持ってる人も多いでしょうし、水面下では単に売ってるものを消費して食べる生活から、自分たちで栽培したものを食べる生活に移行したいという<必要性>が動き出しているのかもしれません。

 僕は食べ物のように、「平和(安全)」も自給できる時代に入っていくことが必要だと思います。 
 どうすれば「安全・平和でいられるか」を説いた処方箋はほとんどないと思います。
 というのは、一般的認識として、平和というのはたまたま与えられているという感じだからなのでしょう。
 そして実際問題として、多くの人にとっては、戦後60年以上にわたる平和は「たまたま」なのだと思います。
 そうでなければ、安全保障とかそういうことではなしに、「外敵から身を守ることによる自国の平和」という、そういうレベルだけではなく、本当の「平和」とは何かという積み上げられてきた思索が一般に浸透しているのではないでしょうか。

 二発の原爆を体験した国として、僕らは本当はそれくらいの哲学は持っていてもよいかと思います。

 そして3・11を境に「安全感」が徐々に劣化しているような気がします。
 それは本当に少しづつ進行しているので、気づかずにいることもできるかもしれないのですが、「安全」が「とりあえず安全」とか、「ただちに危険はない」とか「ひとまず平和」に変わってきてます。

 だとすれば、日本人全体の欲求ピラミッドの土台部分がかなり不安定になっていることを意味します。

 どうも僕にはたびたび起こる嫌な事件や、社会になんとなくただよう「おかしさ」の原因のひとつはそれではないかと思えます。やっぱり立ってる土台が揺れてると、行動も考えも若干変になると思うんですよね。
 「安全感」を前よりも感じられなくなってきている、そこからいろいろなことが発生してはいないだろうかと。
  ヨーロッパ、そして日本でもみられる右傾化傾向は、失われた安全感への代償欲求なのかもしれません。
  この代償欲求が、お金や、他への攻撃や、支配や、従属やら、性やらにむかうと全体的に意識レベルが低下します。

  不安だからみんなでより集まり、意志を同じくして、一丸となり、外敵と戦うぜ! ということは一時的な解決にはなりますが、結局どの国もそうなると最終的にバラバラ、そして戦争になることは避けられません。  

 こういう時代に合って、首都直下地震の可能性もある関東に生きつつ、いつのまにか失われつつある2011年以前の日常感、安全感を充足させるにはどうすればいいのか。
 
 うーん、これは人によって答えも違い、簡単にこれという解答は思いつかない難問です。
 どう考えようと3・11以前の日々は失われたというのが、僕のからだが感じている感覚です。
 日々瞑想してこころの平和を!とかそういうことだけでは答えにならない部分がやっぱりある問題ですね。
 まーした方がいいとは思いますけど。
 人によっては瞑想中に西日本のほうへ移住しようと思うかもしれないし・・・・・いろんな選択肢があります。
 
 ただ戦争なき安全ということで言えば、結局答えは「霊性」にしかないような気はします。
 逆に言えば、僕らが霊性に目覚めない限りは、戦争はあるでしょうし、その他大小さまざまな争いは地球上で継続され、それによって不幸になる人がいるという現実はかわらないでしょう。

 欲求のピラミッドのボトム部分にある、安全感を担保するために、上層部にあるであろう「霊性」が必要というのはちょっとパラドキシカルです。
 衣食足りて礼節を知る、しかし、衣食足りるには礼節が必要なり、みたいな・・・そういうとこもありますが。

 霊性は安全必要→安全は霊性必要
 本当にそうだとすると、大昔から人類は動物状態のままであったと思います。
 成長の土台となるある程度の平和さを保つために、 きっと大昔から、現在に至るまで大いなる存在が平和を維持してくれていた部分もあると思います。僕らより進化した存在が土台部分を支えてくれていたと考えれば説明つきます。

 でも、「食」と同じように「安全」も自給できるような責任性が、今後は必要なのかなと思いました。

 
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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/01/09 21:02
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