マップ・オブ・ヘブン




  最近、かなり更新頻度が落ちていますが、実はまた引っ越しでバタバタしていました。

  去年の一月に引っ越したばかりですが、ちょっと諸事情あり。。。一年ほどでまた大移動。

  考えてみると2012年以降で、もう3回目になりました。

  ある意味変化が多いというか、路頭に迷ってるというかそんな感じもなきにしもあらずですが。

  3年半ほど暮らした都立小金井公園近辺にまた舞い戻ってきました。

  今、窓から見える東の方向には西東京スカイタワーが水色に光っています。明日は雨なのでしょうか。(これ天気によって色が変わるらしい)

  まだ一週間ほどですけど、やっぱりこの辺の環境が落ち着くな・・と。

  どうも近くに広い空間やグリーンが多くないとダメみたい。   

  そんなんで、引っ越しにともないネットもしばらく使用停止して、昔買った本を何冊か読み直したりしています。

  今はエベン・アレクザンダー氏の「マップオブヘブン」。




  臨死体験記として有名になった「プルーフオブヘブン」の続編です。
  前作に比べて体験記的な色合いは薄く、どちらかというと臨死体験や古今東西の神秘体験の意味するところの考察という感じです。

 それと、前作を読んでエベン氏のもとに寄せられた読者からの手紙が多数掲載されています。
 その多くは、自分もおなじような体験をしたという内容なのですが、これが結構興味深く、かつ心打たれるものが多い。  

 今回そのひとつを引用、紹介したいと思います。

 本文第6章 喜びの贈り物 より 読者からの手紙

 アレグザンダー先生

 娘のヘザーは1969年に、重度の脳性小児まひを患って生まれてきました。身体を起こすことも、話すこともできませんでしたが、周りのことすべてに興味を示し、笑い声もあげていました。本当によく笑っていたものです。長く生きられても12歳くらいまでだろうと言われていたのですが、娘は20歳まで生きて1989年に亡くなりました。息を引き取った次の日、娘の死を頭から追い払いたくて庭で芝刈りをしていると、どこからともなくやってきたオオカバマダラの群れが私を取り囲むように舞い飛んでいました。あれは霊的になにか意味のある出来事だったのでしょうか。私にはわかりません。

 話を先へ進めて、1995年に飛びますが、ベッドに入っても目がさえたまま、「神さま、どうしてあなたは私にこんな不幸な仕打ちをなさるのですか」と胸のうちで問いかけた時のことでした。そう考えると同時に、寝室の左手の隅に真っ白に光っている人影が現れたのです。それは娘に違いありませんでした。娘は私を指さしながら「パパ 違うわ。そんなことはないのよ、あれを見て!」と言い、右手を指し示しました。そちらを見ると、まぶしい白い光が渦を巻いているのが目に入り、光はたちまちにして部屋中を埋め尽くしました。ことばによる説明はなかったものの、その瞬間にいくつかのことがはっきりと腑に落ちたのがわかりました。その時に味わった至福の境地は、とてもことばになりません。

 娘は神様の天使となって幸せにしていることがわかったのです。残された私たちも、死後の心配などしなくてもいいこともわかりました。造物主の偉大さに比べれば、人間が理解していることは笑ってしまうほどちっぽけなものでしかないことも。あれは確かに本当に起きたことだと思っています。ですから、「神を信じていますか?」を聞く人があれば、こう答えています。

 「信じてるだけじゃありません。いささかも疑わずに神は存在することを知っているんですから」と。




 ■私は神を信じているのではありません。神を知っているのです

                       --カール・ユング 神を信じるかと問われた時の晩年の答え。

 またイラク戦争で重傷を負い、臨死を体験したナタリー・サドマンの言葉も大変興味深いです。
 同じく本文第六章より

 「肉体的な苦痛からは逃れられなくても、精神的な苦痛は避けることができる。仏教ではそのように教えられてきた。人生で経験していることの一部始終が自ら計画したことであって、臨死を体験し、人生には意味もあれば価値もあったことがわかると苦しむことなどできなくなる。

 黒こげになったトラックの血だまりの中で意識を取り戻し、激痛に耐えて胎児のように病院のベッドで丸くなり、麻酔の後遺症で内臓が出てしまうかと思うほど吐いたりしても(あれほどつらいことはなかった)、50年にわたってものが二重に見えてきたと言っても、臨死体験をしたときの喜びの感覚がやきついて離れない。  

 それは幸福感とは別の感覚だ。幸福感は、その時々の状況や環境によって生じているだけで、不変の内的な状態ではないように思える。気分がめいる、不安になる、恐れをいだく、イライラする、腹を立てる・・・私も状況や環境次第で不幸せになるが、同時にその状況や環境に興味をそそられ、場合によれば面白がりさえし、そのような場面をつくりだしたことや自分の言動、感情を眺めることができる。

 この世界に生きていることを四六時中幸せに感じているわけではないし、自分の置かれた状況を特別にうれしいとも思っていないが、意識をもって創造性を発揮しながら経験を探求すること、それ自体に伴う愉快さ、こうしていることの根底に流れる喜びは、どんなときにも忘れることがない
。」


 すべてがハッピーになるとかいうのではなく、どんな状況でも変わらない喜びがあるというこの意識は、より本質的な体験より生ずるものではないかと思います。









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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/13 20:33
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