見えない糸 愛はエコーする声

  SE(Somatic experience)のセッションを受けつつ、体感や読書で学んだことのアウトプットになります。

  最近気づいたのは、インナーチャイルドの癒し、アダルトチルドレン、愛着障害などと呼ばれる領域において、重要なことは「癒し」というよりも「再学習のプロセス」と言った方がよいということでした。

 癒しあるいは修復という言葉は、完成した構造体がなんらかの理由で破損したときに、そのもとの形態に復元するというイメージです。

 しかしそもそも、構造体ができあがっていないものを修復することはできない。

 アダルトチルドレン、愛着障害という状態は、幼少期に関係性形成に必要な学習が行えなかったことにより、構造体が未完成のまま放置されてる状態と定義できるかもしれません。

 建物だとすると、一階部分の土台がちゃんとしてないのに、二階部分をつくり始めてしまっていたり、材料だけが建築現場で野ざらしになって雨に打たれているようなそんな感じではないかと。

 だから、この領域では再学習によって、脳‐神経系を正しく再構造化していくということ。

 だから「癒し」という言葉よりも、インナーチャイルドの「育て直し」「生き直し」と言った方がよいのかもしれません。

 人を愛する、信じる、理解する、共感する(自分をと置き換えても良い) 

 といった能力は基本的に経験による学習によって積み上げられていくのだと思います。

 もっとも初期の段階では、赤ちゃんが笑い声や泣き声をあげる、その時にリアクションとしての「声」をこちらも反響させてあげる。

 これは「エコーイング」と言うそうです。

 すると乳児は自分の存在が認識されているのを感じ、安心します。
 シンプルですが、学習の基本はこのようなことではないかと。

 でも、ニグレクト的な環境では、いくら泣いても環境からの反応が全くありません。
 あるいは、叱られたり、叩かれたりというネガティブなフィードバックが返ってきます。

 すると、必要な学習が行われずに、発達が凍結してしまうというようなことになります。
 関係性ニューロンの発達が凍結する一方で、不安や怒り、攻撃的な感情が大脳辺縁系に蓄積されます。

 誰かの発言に対して、「うんうん」「ええ、ええ」「なるほど」などの相槌をうつことは、「聴いてますよ~」というサインですが、ルーツをたどれば「エコーイング」がその起源なのかもしれません。

 大人になっても、僕らは互いに存在を確かめ合うことを必要としているのです。

 そして、こちらから「こんにちは」とあいさつをして、まったく無視されると誰でも嫌な気持ちになるというのは礼儀とかそういうこと以前に、 「エコーイング」が成立しないことによる根源的な不安を引き起こすからではないかと思います。

 自分の存在が認識されていること、『声』を出すと、『声』が返ってくること、これは関係性の中で生きる哺乳動物ホモサピエンスとして根本的に必要なことなのです。「声」逆から読めば、エコー(笑)

 「エコーイング」のようなシンプルな学習を基本として

 やがて長ずるにつれて

 ほめられた経験
 痛みや喜びに共感してもらえた経験
 仲間の中で楽しく遊んだ経験
 喧嘩したけど、仲直りした経験
 時間を忘れて会話に花を咲かせた経験
 誰かに優しさを表現できた経験
 愛し合いお互いを大事に思えた経験

 などを得て、人の脳‐神経、あるいはハートとマインドは健やかな状態になっていくのでしょう。

 カウンセリングなどでクライアントさんの話しを傾聴することが、特に重要視されるのは、やはり「聞いてもらう」こと自体がコミュニケーションに必要な神経系の発達を促すからなのでしょう。

 僕が最近、気づいたこと。

 ちょっと気分が低迷してたり、寝起きでテンションがいまいちだったりするとき、

 仕事や趣味の場で誰かとしたコミュニケーションがふと頭をよぎると、心身が微妙に活性化したり、やる気スイッチが入ることに気づきました。それはもちろん、自分にとって楽しかったり、うれしかったり、成功したと思われるコミュニケーションのワンシーンです。

 面白いことを言えて、ちょっと場が盛り上がったとかそういうのも含め・・・ 

 SEセッションで体の感覚を感じることが習慣になっていたのもあるのか、

 人間の心身っていうのは 話が通じると 活性化し 話しが通じないとフリーズする というのが実感としてわかります。

 そして、こういう体験の積み重ねがおそらく、自信とか自己価値観に結びついていくんですね~ 

 この世界にはもちろん、コミュニケーションによらない自己価値観を感じるケースもたくさんある。 

 成績がよいとか、特異な能力があるとか、何かで名声を得るとか、権威により認められる とか

 それはそれでよいことなのですが、そういう自己価値観だけだとある意味もろい。

 土台がガタガタの家の二階天井部に設置された、キラキラしたシャンデリアにアイデンティティーを置くようなものなのです。 

 そしてインナーチャイルドの問題があると、そういうコミュニケーションを介さない自己価値観に惹かれていきやすいような気もします。傷ついて、愛されることはもうあきらめちゃっているんですね。

 僕自身も、もともとコミュニケーション回避的な傾向があり、本読んだり、自然の中に出かけたり、思索したり、一人で酔っぱらってる方が人と絡むより楽、って思うこともあります。それで、部屋でできる仕事で稼げればいいなーなんて夢想したり。

 でも、どういうわけかどっぷり人と関わり、体に触れる仕事をすることになり、その中でいろいろな感情を感じることになりました。
 これは僕にとってはSEセッションと同じように、コミュニケーション脳を育てなおしていくプロセスでもあったような気がします。 

 昨日Aさんとばったり道で会ったとき、優しい言葉をかけてもらったな、昨日Bさんと話してて何気に言ったギャグがウケたな、とかそういう記憶のひとつひとつが 僕の生きるスイッチを押してくれることがある。

 たくさんの人との間につながる見えない糸、たくさんのコミュニケーションの中でできたニューロンネットワーク、それらが僕を生かしていると思う、今日この頃です。

 見えない糸が宝と思えるような人生を生きたいですね


  
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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/01 12:12
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