In deep Self Love



  



  このところ、僕の関心は北○○・・・ではなく「自分を愛する」ということにまた向いています。

  きっかけはこの「自分を愛せなくなってしまった人へ」というちょっと重たいタイトルの本を読んだことでした。






  著者のティール・スワンは人間のサトルボディが見えたりする、超感覚的知覚者です。
  一番上の動画のお姉さん。

  しかし、僕がこの本を読んでみたのはその理由ではなく、彼女の人生体験があまりにヘビーで過酷なものだったからなのです。

  帯に書いてありますが

  「私の6歳から19歳までの経験を簡単にまとめてお話ししましょう。

  私はカルト的な儀式で性的、肉体的に苦しめられ、レイプを受け、食べ物を取り上げられ、三回の中絶を強いられました。

   さらに、電気ショックを与えられ、縛られた状態でアイダホ州南部にある溶岩洞の中に一晩中置き去りにされました
。」

 とあります。なんだかもう意味不明なレベルですが

 これらの虐待は、彼女が超感覚をもっていたために両親から引き離されて預けられた、ある男性によりくわえられたようです。

 彼女は幼い頃からずっとこの男性のもとで半洗脳状態にあり、支配されていたと言います。

 3回の中絶というのも、この男性の子供を何度も妊娠してしまったからなのでした。

 沸騰させたヘロインを無理やり注射されるようなこともされています。(それによるフラッシュバックの後遺症も)

 普通ならトラウマの影響により、生涯立ち直れなかったり、命を絶ってしまってもまったく不思議ではない生い立ちです。 

 実際、現在でも依存症をはじめとしてまだこれらの影響は残っているといいます。
 しかし、それでも人生を愛し、希望を感じられるようになったという、彼女が困難を克服した道というのがとても気になって、読んでみたのでした。

 いやーだって、まったく順風満帆な人が語る『自分を愛する』話しよりも、これだけの困難を経験した人が語る「自己愛」の方がやっぱり気になるじゃないですか。

 今回はこの本の紹介は軽くとどめたいと思いますが、彼女の過酷な経歴と、自分を愛するための方法論に主にページがさかれています。

 この本を読んで、「あっ そうだ僕ののテーマも<自分を愛する>だった」と思い出しました。っていうか、ある意味誰しもが・・・というテーマですが。

僕は過去世、修道院みたいなところで自分の背中をムチでぶったたき続けていたらしいので、今回は自分の頭をなでなでしつつ
喜びの道を行きたいと思います。

 一度、酔っぱらった時に、その情報を思い出し試しに自分のベルトで背中を叩いてみましたが大変なじみある感覚でした。

 あっ、なんかのプレイじゃないですよ。別に気持ちよくはなかったですね(笑)

 まあ、これがテーマとなるタイプをあえてあげるとするならば、激しい自己嫌悪とか自己不信とか、罪責感、そして孤独感のある人と言えるかもしれません。そしていろいろな意味でマイノリティ的性質を持つ人・・かな(社会的に自分を肯定しにくいため)。

 この本を読んで、「自分を愛する」とはとても広範囲に及ぶことなんだとあらためて気づきました。

 例えば、「楽しいこと、わくわくすることをする」もそうです。
 「鏡に向かって愛してると言う」もそうです。
 そして「自分に感情や肉体をしっかり感じる」ということもそうだし
 「部屋をきれいにする」とか
 「人と自分との境界線をしっかり守る」ということもそうなのです。

 「自分を愛する」言うは簡単ですが、実はかなり奥が深く、また多方面にわたる、生涯続くワークなのかもしれません。

 そして「人にやさしくする」もまた「自分を愛する」ということなのです。

 この本の趣旨を簡潔に言うと、行為や思考の出発点を「自己愛」とすることのススメと言えるでしょう。 

 自己愛っていうとしばしばエゴイズムとか幼いナルシズムと混同されがちですが、これは明白に違います。

 本文中にも説明があるように、利己主義というのは「自己愛」の不足と言えると思います。
 愛が不足してることにより、自分のことしか考えられなくなってしまうような感じでしょうか。 

 面白かったのは無私無欲の人、と利己主義者は波動的に一致しているとティール・スワンが書いてることです。

 無私無欲の人も、利己主義者も愛が有限だという思いを抱いており、利己主義者はそれをむさぼり、無私無欲の人はそれを与えねばならないと思うとスワンは言います。だから、この二つのタイプはよく出会ってしまう。
 そして被害者と加害者になります。
 どちらも本当の自己愛が足りていません。
 
 だからボランティア的なことをしたり、援助職をする場合、不足した自己愛の埋め合わせのためにやっていないかどうか?ということを確認するのがすごく大事なんじゃないかと僕なんかは思います。
 そういう場合はたやすく本来あるべき、人と人との境界線がぐちゃぐちゃになるようなことが起こりますからね。 

 さて、この「自分を愛する」の自分とは何か?ということを僕なりに図にしてみました。

 僕のイメージでは簡単に書くとこういう感じになります。

 self.png

 ハイヤーセルフ(魂)は、肉体を越えた僕らのエッセンスです。
 これはこの世界で表現したいこと、与えたいことの青写真を持っています。そして直観という形で自我にメッセージを送る場合もあります。このメッセージは感情を通じて送られることもあります。

 インナーチャイルドは僕らの中に眠る子供心です。 
 否定的、肯定的、自分自身についての様々な信念を保持しています。多くの人は大人の仮面の下に、未熟なインナーチャイルドが潜んでいます。そして、ある状況などによってトリガーがひかれると、インナーチャイルドのなすがままの子供のようなリアクションをしてしまうことになります。恋愛関係でよくありますね・・・
 この子供は叱るのではなく十分愛情を持って、育てる必要があります。

 一方でインナーチャイルドはとってもイノセント。遊び心や、原初的宗教心、豊かな想像力を持っています。
 もともとはハイヤーセルフと直結する部分なのです。
 イエスの言う「幼子のようにならねば天国へは入れない」、そういうピュアな性質です。

 環境とか他者は自分の内面が反転した感じで、これもある種の「自己」になると思います。
 だから「人にやさしく」も「自己愛」。

 魂としての自己、内なる子供としての自己、他者としての自己、感情としての自己、肉体としての自己・・・・

 自己愛とは、自己の多面性を知り、そのすべての部分を受け入れ、愛することだと思います。
 僕らはこんなにも多重的な、素晴らしい存在なんですね。

 僕らの目に映るのは、鏡に映る自分だけですが、本当はもっともっと広い。

 ハイヤーセルフの上に「神」と書きましたが、「神」は超自分です。

 個々の人々が葉っぱだとすると、神様は木の全体、あるいは幹や根っこにあたります。

 だから葉っぱからすると、木は自分自身でもあり、一種の親分でもあります。

 葉っぱが深く深く自分を愛するならば、木自体も愛さずにはいられない。
 「神への愛」と「自己愛」はそのようにつながるのかもしれません。


 今後もしばらく、自分を愛することについての記事を時々書いてみようと思います。

 







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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/29 20:47
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