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コンパスと黄金の島

この頃読んだ本に次のようなことが書いてありました。

 「純粋に数学的才能を持っているのは人口の1パーセントに満たない

 もちろん僕らには数学的「能力」は備わっている。

 だから日常で使うような簡単な掛け算 足し算 割り算 100分率の計算ができるからこそ、
スーパーの20パーセント引き!なんていうシールを見てなんとなくいくら安くなっているかがわかるわけだ。

 数学で赤点を取っていた僕が言うのもなんだけど、基本的数学能力は文明で生きる上で欠かせない。

 しかしだ・・・微分積分 代数幾何・・・それってなんだっけ。
 僕にはその言葉が意味するものを正確に思い出すことはできない。
 というか興味自体が持てないのだ。(神聖幾何学などには若干興味があるとは言っても)

 「純粋に数学的才能を持ってる1パーセント未満」というのは、もちろん微分積分もわかるし、なんならすっげー楽しいという
感覚を持てる。数式に美と、わくわく感を見出せる人々。数式を発見しちゃったりする可能性のある人のことだ。

 アインシュタインはもちろんそういう才能を持っていたと思うけど、

 国単位でいうと人口の1パーセント未満という数字は決して少なくはない。

 仮に少なく見積もって人口の0.1パーセント(1000人に一人)でもだ、日本全体でなら12万人もの数学の天才級の人がいることになる。これはちょっとワクワクする数字であるし、ちょっとホントか?とも思う。

 これが本当なら人間観がいい意味で、向上しそうな気がする。
 
 しかし、有名になる学者・研究者がそれほど多くないことを考えると、その12万人のほとんどすべてが無名のままで、あるいはまったくその数学的才能を社会に生かすことなく、まったく別の仕事をして人生を終えている可能性が高い。

 画才も同じような割合らしい。

 見たものをそのまま写し取る、(光や影や遠近法を教えられもしないのに使って)という才能を天賦のものとして持っているのは、やはり人口の1パーセント程度だという。
 絵画は写生的要素だけではなく、想像力、色彩感覚も入ってるわけだけど、この割合はもともとの意味での「写し取る能力」を
言っている。

 音楽でも作曲などに高度な才能を持ってる人の割合は1パーセント未満。
 しかし、面白いのは「画才」と比較した場合「音楽」はより敷居が低いらしいということだ。
 「数学」「画才」はすそ野が狭く、より一部の人々にその能力が集中しているのに比べて「音楽」はすそ野が広く、そこそこに歌えたり、楽器を演奏できたりする人の割合は多い。

 またそれらの活動を楽しいと感じられる人の割合が多いのも音楽の特徴だ。

 こんなイメージが浮かぶ。
35人のクラスで数学の天才A君と、未来の画家Cちゃんはどことなく変わっていていつもひとり自分の趣味に熱中してるけど、
音楽が好きなS君 Tちゃん Mちゃんは 一緒に歌ったり、バンドを組んでわいわいセッションしてる・・・みたいな。


 この本はフレッド・ホイルという人の書いた本で「生命は宇宙に満ちている」という。
 簡単に言うと、生命は原始の地球で偶然に発生したものではなく、そもそも宇宙は微生物(バクテリア)に満ちており
それが隕石や彗星の接近によって地球にばら撒かれ、動植物の発生へとつながったという説を展開したものだ。このような仮説は一般的に、パンスペルミア説と呼ばれている。

 

 この本の中ではダーウィニズムで主張されるような「進化は自然淘汰と突然変異による」という考えを批判しており、
その根拠として、人間の中に「直接生存に関係ないような」能力、数学的才能、芸術的才能が常に一定の割合で現れることを
あげている。

 それは、人間の進化を、文明を 常に一定の方向へと導くような ある青写真の存在を あるいは宇宙的な叡智の存在を
示唆してはいないだろうかと言うのだ。

 つまり、人は単なる生存のみを意図されてはおらず、より精神的な存在へと 美や愛や叡智の中核へと向かって進化していくことを本来意図された存在だと言える。「生存していくこと」+「より高まっていくこと」が宇宙の意図だ。

 そして「数学」や「芸術」の才能が常に一定の割合でキープされているということは、ある種そういう分野に進化の秘密が隠されているのではないだろうか。 

 芸術、特に絵画を見るとき、僕らはそこでどんな体験をするのだろうか。
 ヒマラヤの山並みを描いた絵を見るとき 僕らは何を感じるだろう。
 美しさ 荘厳さ 澄み切った大気 文明を超越した自然の圧倒的存在感・・・・?
 そして極度に集中し、ゾーン状態に入ったなら、自分が誰でどこにいるのかすら一瞬忘れてしまうかもしれない。

 その時僕らは、通常の感情思考状態から 別のより高次の感情思考状態へとシフトする。

 これを忘れていた、と思うだろう。

 そこで体験し、想起するのは「美」であり「高度な秩序」なのだ。
 宇宙の本質は「高度な秩序」であると言える。

 「数学」「芸術」の才能の能力とは 「高度な秩序」につながる能力、くだけた言い方でいうとどれだけ宇宙に驚異を感じられるか
、美を感じられるか、という才能だと思う。

 宇宙の法則 生命の神秘 人間の存在 音の法則 形態と色 光と影の魔法 こういったものにどれだけ興味を感じ、のめりこめるかということなのだろう。

  宇宙の核は秩序と美の凝縮した黄金の島のようなものだとしよう。

 「数学」や「芸術」の純粋な才能を持つ人々は、いわば、この黄金の島へとむかって常に針をさすコンパスのような役割を担っている。

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 絵画も、音楽も、美しい建築もないとすればこの世界は今よりもどれほど殺伐としているか想像もつかない。  
 誰でも気づかないうちにその恩恵にあずかっている。

 あとちょっと思ったのだけど、音楽的才能のすそ野が広いのは、これは生きる能力ともやや関節的にかかわっているからではないだろうか。

 声の調子で危険やなにかを知らせること、それを聴きとること、こういうコミュニケーションにすでに音楽的要素が含まれているだろうし、歌うことは異性をひきつける「孔雀の羽根」的な役目も持っていたはずだ。だから、よりたくさんの人が音楽に魅力を感じ、またある程度の才能も持ち合わせているのではないだろうか。

 



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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/02/20 19:32
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