有想三昧と無想三昧

 俺たちが絶対そのものになったら、絶対って言葉はもう必要なくなっちまう。だけど実在のひとつ手前がね「菩薩」って言って一番大切な場所なの。なぜならそれは人間と神とをつなぐものだから。神の子たちの世界だから。

 そして・・・いいよ、実在そのものになったやつなんて、全部向こうに任しとけよ。あんな奴ら、なんの役にも立たないから。オレもなりかねないけど・・・とにかくなんの役にも立たない。とにかく充足して宇宙の一切と、同時に存在しているだけだ。

 で、一番素敵なのはね、生きていて、生きるって言う意味とさ、生きるものを越えてるっていう意味を同時に持ってるのは、その中間に位置している存在なの。
 
 その人にとって「絶対」があるわけ。絶対の愛の喜びっていうのがある。絶対の自由の触れ合いっていうのがある。で、それを有想三昧っていうんだ。無想三昧と有想三昧と分けると。

 ラーマクリシュナがまさに嫌ったところっていうのはさ、実在そのものになってしまうことなの。弟子のヴィヴェーカーナンダに言ってるでしょ?「お前、絶対ニルヴァーナは経験するな・・・」って。ニルヴァーナ、無想三昧なんかに入ったってなんの役にも立たない。

 だって、それは死ぬことなんだよ。すべてが終わってしまうことなんだ。完全な死って言ってもいいね。肉体の死でさえない、完全な死だ。

 例えばシャカがね、無想三昧っていうのを知ったとき、説くのを止めてもう死のうと思ったっていう伝説が残ってるでしょ?

 つまり全く、それくらい人と関係ないんだ。多くの人と。おそらく、人間の99パーセントと無関係の話しだよ。いい?だって人間の99パーセントは何を求める?
 深いふれいあいでありさ・・・触れ合いじゃないか?何より。
 で、それは物語なんだよ、ひとつの、美しい。触れ合いの世界っていうのは。

 そしてシャカの行き着いた世界、つまりニルヴァーナの世界っていうのはね、触れ合いが全くない世界。それは触れ合わないって意味じゃないよ。触れ合うことも、触れ合わないこともない世界だ。
 始まりも終わりもない世界だ。

 でもたいていその世界を知ったとしたら、(そこへ)入る人はほとんどいないだろう。なぜならその時突然こみ上げてくるから。愛が、慈悲心が。

 だってねこの世に物語がなかったら、神はこのマーヤの世界を作る必要はないもん。いろんなものがあったり、いろんな出会いがあったりさ、合わさったり、離れたり無数の物語があって・・どうしてそんなことやってる?神は戯れるのが好きなんだ。



ダンテスダイジ Meditation in KOREMASA(1978)より

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ダンテス・ダイジ | コメント(9) | トラックバック(0) | 2007/06/03 20:55
コメント
テープ起こし
テープ起こしありがとうございます。

ダンテス・ダイジの菩薩の定義は厳しいものです。神を見るどころではない。神の子として戯れるレベルですから。

この話をダーっとされて、概略でも理解できる人がいるものやら?
 >湖南さん

 この部分を聞いて、無想三昧が究極であると頭で考えていたものが、そんな風に割り切れるものではないんだな、と思いました。

 ラーマクリシュナの言う、「私は砂糖にはなりたくない。砂糖をなめて楽しむのが好き」はおそらくこのことを言ってるんですね。

 今後も、興味深かった部分はどんどん起こして行こうと思います!






最近、ダンテス・ダイジを知りました

このように読めて嬉しいです
ありがとうございます。

他人が認識できない場所ですね、
見上げるように、無想三昧が辿り着くべき場所だと
語られてきたこれまでと
そうではない、これからの時代に。

無想三昧を知的に捉えるだけの妄想的努力と、
多くの、あるがまま、なにもしない
流れているだけ、何もする必要は無いのスローガンを生み
意志のない民衆の

見上げたままの首は固定し、
なにも位置が変わらない日々を

慈悲伴わない、無想三昧の知的妄想が
もたらした、灰色の日々に終焉を

そんな日々を終えて
それもひとつの方向でしかないことに
気づく時代に

この世に働きかける
強靭な菩薩たちに敬意を

無想がバラバラの生き物にとってのゴールになったけれど

そうではなくて、もう一方では、
ここからが、はじまりですね

すべては、始まったばかり
>山さん

 コメントありがとうございます^^

 ずいぶん前にテープおこししたダイジの講話ですね。僕も久しぶりに読み返しました。

 山さんのおっしゃってることと一致するのかわかりませんが、概念的にとらえられた悟りというものにずいぶん多くの人が振り回され、頭でっかちになってしまっているような気がいたします。(自分も含め)

 ので、最近僕自身はあまりそっち系のことは書かなくなりました。自分にとってリアルでかつすばらしいものと触れ合っていたいと思っています。

 でもダイジの言葉はやはり、人を自己自身に戻らせる作用があるのだなーとあらためて思いました。

 個人的には「13番目の瞑想」という講話集が気に入っております。もうお読みになられましたでしょうか。お勧めです!



遅れました!
そうでしたか、リアルって
やっぱりいいですよね
凄く真実な感じがするし、
好きです。

なんか、そうですよね!
やっぱり、押し戻すんだと思います
囚われから。

十三番目の冥想

気になってたんですが、
まだ読んでおりませんでした。

進めて下さって、
読もう!と思ったので、
今日、ダイジのサイトから
発注しました!

世迷いごとでもいいのですが、
ダイジは、ある空間で
声も聞こえないくらいの
集中力で冥想しているようでした

新しい時代の風を感じ
嬉しそうでもあるようでした
変な話として、、

本、楽しみです!

ありがとうございます!

Re: タイトルなし

 >山さん

 「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」や「アメジストタブレットプロローグ」が一般には有名ですが、僕は「13番目の瞑想」にもっとも愛着を感じております。

 悟りや解脱などに興味がない人の心にも訴える内容だと思いますし、またそういう世界を突き詰めた人にも共感できる内容ではないかと勝手に思っています。人生を瞑想的にする方向性というか、マーヤの物語への愛を強く感じる講話ですよ~

 そういえばダイジ氏は生前、次はアメリカ(フロリダだったでしょうか?)に生まれ、新文明の創造の役に立ちたいと言っていたとか・・・どこかでそんなことを読みました。

 久しぶりにコメント欄でダンテス・ダイジの話しができ、うれしいです。

 ずいぶん前に不思議な偶然で中野の古書店で講話録を見つけ、その言葉に引き込まれました。

 会ったことはないのですが、自分にとっては20代から心の師の一人です。その存在をどこかで感じます。

 ありがとうございます^^♪


届いたので、すぐ読み終えました

なんというか、
ソフトクリームのように
甘い味わいの本ですね

ダイジの愛が、響いてました

読んでて思ったのですが、
ダイジは否定すると思いますが 笑

ダイジは、一見、
OSHO的で、龐薀居士 的ですが、

隠せないくらい、
キリストやブッダで
ありたかったんだと

感じました、漂う愛に
包まれてますもんね

本当に奇妙な縁を感じます
今回、自分もフロリダが
テーマでもあるので

勧めて下さって、本当に
ありがとうございます♪✨

本当に興味深いです

自分は、宇宙っぽい感じが好きなんですが、
宇宙にある叡智錬磨場があって
空間の中ですが
そこで皆んなで叡智の研鑽を積んでいたような気がしてます

とこらで、地球でこれを
発揮するために
アトランティスもそうですが、
併せてチューニングしてたんでしょう

ダイジの役割、
本当に極まってて、
味わい深く、アメジストのようですね

自分たちが受け継ぎ
さらに基盤を押し拡げるのでしょうね

面白いです〜!
まだ読んでませんが、
君がどうかい?も一緒に
購入しました★
>山さん


「君がどうかい?」もすばらしいですよ~

 この2冊は何度も読み返しました!

 講話録がその場に他の方と一緒に居合わせているようで、その雰囲気を感じられ、好きですね。 

 あと講話録以外ではやはり詩集「絶対無の戯れ」でしょうか。

 「13番目」なんど読み返しても古びない、いつもみずみずしい愛を感じます♪

 あ、あとご存知かもしれないですがダイジの講話は現在WEB上で聴けるようになっていますね。 


  
君がどうかい?を読みました〜!

良かったです〜!
あの場にいてみたかったです 笑

絶対無の流れは、
そこまで読み込めてませんが、、

ユーチューブいいですね〜!
まさか、聴けるとは!って感じです!!

ありがとうございます★✨

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