照明

 夜はもともと、暗いものである。

 しかし、人はそこを明るくしようとする。
 都会なら一晩中ネオンや外灯の光は灯っているし、家の中は蛍光灯が明々と照らし出している。オフィスでは遅くまで仕事をする人がいる。

 ところが、元来そこは夢と眠りの世界であって、左脳を激しく酷使するような労働や学習の世界ではないのではないか。
 
 夜はもっともっと暗くてもよいような気がする。
 まあ街の明かりを消すと治安上の問題もあるのだろうけど、自分の家や部屋ならある程度コントロールできる。

 夕暮れの薄暗さは美しいと思う。
 徐々に濃くなっていく闇のグラデーションを味わうことなく、すぐに蛍光灯をつけて平坦な明かりで空間を満たしてしまうのは何かもったいない。
 それだと段々夜になるのではなく、蛍光灯をつけた瞬間に夜になってしまう訳だから(?)。

 明かりはキャンドルくらいにして、読んだり書いたりしたいならそのときだけ部分的な照明をつければいいのではないだろうか。
 それは省エネになるからとかそういうんではなく、それの方が精神健康上よいように思えるのだ。

 あの暗闇がないと分泌されないというメラトニンという脳内ホルモンのこともあるだろうし、寝る直前まで蛍光灯をつけっぱなしでは自律神経が休まりにくいのではないか。

 現在の文化に不足しているのは、言わば意識の中有(バルド)であると思う。中有というのは、死者が死後に再生するまでにとどまる状態を言うのだが、そのような生でも死でもないちゅうぶらりんの状態・・・一日の活動は終わったが、でもまだ眠ってはない・・・という状態を得たほうが完全な休息、眠りへと移行しやすいと思う。

 この薄明かりあるいは夜の闇があまり存在しないというのは、何もしていない状態、内観的状態、ぼーっとする状態の重要性があまり認知されていないということと同時に、現代人の心に抑圧された巨大な闇・・・死の恐怖を主とする・・・ともリンクしているだろう。
 
 
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アセンション考 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2007/06/13 10:08
コメント
はじめまして。
本日貴ブログを知り、はいたか鳥さんの観点に共感を感じます。

「ホピの予言」も読みました。現在進行しているこの文明は、もう極点を迎え、新たな方向を進み始めていると感じています。そのことを理屈ではなく感覚でとらえているひとも続出していると思います。
いまはまだ、真上に投げたボールが最高点を迎えてその進む方向を変えたばかりのように、勢いが消滅してどちらへ向かっているのか判り難い状態でしょうが。

拙ブログでは実経験にちなんで記事を書くようにしているので、思索などはあまり織り込んでませんが、ひとが生きるうえでたいせつな、自然界とのつながり、自分のこころを自由にすること、を描けてゆければいいなと思っています。よろしかったらご覧ください。
>大口のまさん

 こんにちは、訪問ありがとうございます!

 ブログ少し読ませていただきました。(まずブロガーインタビューから)とても内容が濃いのでこれからも過去の記事とか読ませていただきますね。

 僕は現在は東京に住んでいますが、なんとか都市生活に指一本でしがみついているという感じです。自分のライフスタイルを変化させるため、自然とのつながりを取り戻すことが重要だと感じ、その方法を模索していた時にいいタイミングでコメントをいただきました。

 きっとのまさんのような生き方をされている方や、それに共感する人はこれからどんどん増えていくんでしょうね。みんなそれくらい精神的にいっぱいいっぱいで、本当のやすらぎとか大きなものとのつながりを求めている人が多いと思います。

 僕はおそらく当分は都市部で生きていくと思いますが、出来るだけ自然の中に足を運び、学べることを学んで行きたいと思っています。
 そして今まで関わってきた瞑想やセラピー的なことと、自然の中での生活が結合するような、そんな「場」を形成するために動けたらいいなと思っています。

 ブログでいろいろ勉強させていただきま~す^^。ありがとうございました。

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