卵の中の黄身

我もなく うつし世もなくなにもかも  神の中なる 神のあらわれ  BYダンテス・ダイジ

稲妻と大地

 派遣の仕事の契約がどうやら一月いっぱいで終了となりそうだ。

 仕事がきついと、はやく、やめたい〜やめたい〜、あーあと○○日だと指折り数えたりしていたが、いざもう来月から自由の身と言われるとなんだがさびしくなってくるから手に負えない。

 今まで自分の現実を構成していた要素の一部がずぼっと抜け落ちていくような感覚。それは抜け落ちた瞬間に、もっともその存在をはっきりくっきりさせる。

 来月から自分の生活を、自分で形作っていけるだろうか、という不安。

 どれだけ空白の時間を、豊かに生きられるのかというのが重要だ。

 僕は、霊性の方向へのめり込んでいる頭と、割と貧弱な行動パターンをくり返す身体とで出来ている。
 この行動パターン、生活の部分を、もう少し豊かにすることが出来ないものかと考えている。

 昔、ライフシンボルを発見する瞑想をしたことがある。

 詳しい方法は忘れたが、出来る限り自分の現在までの人生を想起するのが鍵だった。それをおこなうことによって、人生のシンボルをイメージとして導き出す。

 するとこんなイメージが浮かんだ。

 僕は荒れ果てた荒野のような場所に立っている。

 あたりは日が暮れているのか曇っているのか薄暗い。

 地平線には山脈が連なっている。その峰のあたりで、小さな稲妻がきらめくのが見えた。

 その光景が、その稲妻が、自分のライフシンボルであると思った。

 悲観的になっている時には、僕はこのように思った。

 僕は、「真理」が存在することを知っていて、予感もしている。
 でもそれは、遠くにちらちらと閃いて見えるだけで、この人生では決して手に入ることはない。決して手に入らないそのものを遠目に見ながら、さびしい枯れた大地を死ぬまで歩き続けなければならない。
 それが、う・ん・め・いだと。

 それが本当のライフシンボルじゃなきゃいいけど、そのイメージは確かに何かを象徴してはいたように思う。

 稲妻に向かって歩き続けるという方向性もあるが、
 足元にある大地に種をまくという方向性もある。 

 それが今自分にとって重要であるとなんとなく感じる。
 はぐくむこと、自分のやりたいことを少しづつでもすること。

 結局そういう単純なところに、思いは戻ってきてしまう。







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