みこころの美

 ニーム・カロリ・ババの逸話の中に、神の意志の働きの精妙さを語ってると僕には思える話しがある。以下、「愛という奇蹟 ニーム・カロリ・ババ物語」より。


 ジャーンキとドロパディがマハラジの目の前に座っていました。マハラジはジャーンキのほうを向いて、

 「お前とドロパディと、わしはどっちが好きだと思う?」

 と言いました。

 「どうしてですか、マハラジ。あなたは私たちを同じように愛してくれています」

 ジャーンキは穏やかに答えました。

 するとマハラジはこう言ったのです。

 「ナヒン(ちがう)!わしはドロパディのほうが好きだ!」

 当然のことながら、彼女はこの答えにとてもうろたえました。立ち上がって外に出ると、ヴリンダーバンの市場へ逃げ出したのです。いったい、どんなグルが選り好みなどするだろうか?しかし、市場をさまよっているあいだに、結局逃げ出すことなどできないと思いました。
 彼女は誰かのために何かいいことをしたくなり、真鍮でできた小さなハヌマーンの聖像を買い、寺院に戻って自分の部屋に置きました。

 するとすぐにマハラジにつかまりました。

 「どこへ行っていた?何をしていたんだね?何を買ったのだ?」

 彼女が小さな聖像のことを話すと、マハラジがもってくるように言います。聖像を渡すと、マハラジはしばらく手で触りながら見回し、それを、この私に渡すように言ったのです。

 最初からジャーンキがその聖像を私にくれるつもりだったのか、それともマハラジが手ほどきしたのかはわかりません。でも、その日、私が心の中で小さなハヌマーンの聖像が欲しいと思った直後に、その聖像はやってきたのでした。



 この中には、神の意志と、それに奉仕する人の姿があるように思う。

 神の意志、それは「私」に聖像が渡されるということ。
 ジャーンキは知らず知らずのうちに、それに奉仕した。
 マハラジの言動は、神の意志を成就させるためのものだった。 

 こんなことは人間には出来ない。
 神様はジャーンキが街で聖像を買うのを知っていたのだろう。


 人はみな知らず知らずのうちに、神様に奉仕している。

 知らないうちに誰かを助け、助けられている。 

 意図しないで、誰かを救ってしまえるところに、僕らの美しさの真髄がある。

 神をたたえないではいられない理由がある。



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未分類 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2007/12/12 16:21
コメント
マハラジ
ダイジの講話にも、グル マハラジとしてよくでてきますね。

まるで、布袋さまみたいだなぁと思ってしまいました。
「愛という奇蹟」読んでみたいです。

精妙さ、感じますね。
すべてがうまくいってると、どんな時も、思いたいです。
すみません、Name入れるの忘れました。また、ドジこきました。
 確かに布袋っぽい!笑

 超人的な福々しさですね・・・。

 ニーム・カロリ・ババという名前が美しいです。

>ダイジの講話にも、グル マハラジとしてよくでてきますね。

あ、ちなみに、老子狂言詩集で「グルマハラジという青二才は真っ赤なニセモノ!」と言ってるのは、かつてのデバインライトという教団の教祖のことだと思います。どんな人物かは知りませんが・・・。
日常の些細な出来事の中にも、
人間という個の意識が外れたときに、
垣間見えるときがあります。

思わずニヤッとしたり、
時には感謝のあまり涙したり。。。
 僕は感謝と文句の繰り返しです(><)

 感謝したあとに、すぐ、え・・・・?(^^;という出来事があったりして遊ばれているような気がすることもしばしば。

 それでも長期的に眺めるとやっぱりうまく出来ているな~と思ったりしますね!

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