MY-SONG

 去年の1月から月に2,3回だがヴォーカルトレーニングを受けている。
 課題曲を決めてそれを2~3ヶ月くらいで練習していくのだが、今は尾崎豊の「MY-SONG」だ。
 「ぼく~がぼく~であるために~ 勝ち続けなきゃならな~~い」
 というやつ。

 音程が自分と合っているので、今までもカラオケとかでは比較的歌いやすい曲だったけど、安全パイかと思いきやダメ出しされまくる。簡単そうに見える曲でも、100パーセント歌い上げるのは難しい。

 しかし、ヴォイトレをしてる癖に、音楽はほっとんど聴かない。
 2.3年前までは結構聴いていた。
 BLANKEY JET CITYとかRapyutaとか透明感があって退廃的なのが好きだった。 
 尾崎豊もよく聴いていた。
 でもいつのまにか音楽をかけなくなった。

 音楽をかけると、それはそれでいいのだが、自分のリズムを外側からコントロールされるようで、
 そうまでしなくても座って穏やかにしてるほうがなんとなく心地よく感じるようになったからだった。

 しかし、最近、せっかく歌の練習をしてるのならちょっと適当なCD借りてきて聴いた方が
よいのではないか、いや聞くべきであるというような変な義務感に急き立てられて、オークションでCDプレイヤーも買い、TSUTAYAからCDをレンタルしてきた。

 しかし、このプレイヤー10日もしないうちに壊れちめえやがった

 ということで、音楽はほぼ聴かずカラオケと、教室でだけ歌うという日々に戻った。
 幸いこっちの方はまだ止められていない。(セロマジック事件はあったものの)

 で、「MY-SONG(僕が僕であるために)」なのだが

 本当に「MY-SONG」というものを人は持っているのではないかと思う。

 ほとんど、誰も無数の音楽があふれている時代に、歌を歌うときわざわざ自分でつくった歌を歌おうとは思わないだろう。だから誰かがつくったメロディを口ずさむ。

 しかし、自分の歌を歌う、というのは自分にしか出来ない。
 へんてこで意味不明な自分の歌を歌うという行為は、 
 無数のすばらしいメロディを聴くことででも置き換えられない。

 MY-SONG、自分の歌。
 それは洗練された詩とメロディでなくてもいい。
 ひとりでに流れてくる言葉と、原始的な声の抑揚だけでもかまわない。
 それを発するときに、なにかが変わるのだ。
 
 誰にでもMY-SONGを歌う権利がある。
 
 そして、それは歌だけに限ったことではない。

 生命のように変化するMY-WRITINGが出来るようになりたいとも思う。
 そう言えば、歌を聴かなくなったように、小説も全然よまなくなった。


 ☆おまけ☆

 CDプレイヤーが壊れる前に、この曲に泣かされた・・・。

 ダンデライオン Bump of chicken

  さびしがりライオン
 つり橋を渡る
 サバンナじゃみんなに嫌われた
 橋の向こうで出会ったやつは
 太陽によく似た姿だった・・・・・

 お前は俺が怖くないのか
 逃げないでいてくれるのか
 吹き抜ける風と共に一度だけ頷いた

 涙の理由を知ってるか
 俺にはわからないが
 濡れた頬の温かさはおそらくお前がくれたんだ・・・(続く)

http://jp.youtube.com/watch?v=oL-4Csgx0Y0(アニメ付き)
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私的雑記 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2008/03/19 22:26
コメント
>生命のように変化するMY-WRITINGが出来るようになりたいとも思う。

私もそういう気持ちを忘れないでいたいです。

ところで、尾崎豊・・・ですか。あの歌い方好きです。
とはいえ、20数年歌を聴いてなかったので、
どんな曲かは知らないのですが。。。

私も最近は月2回レッスンを受けてますが、
こちらの方も、MY-VOICEを模索あるいは作り上げ中です。
発声一つでも奥が深いですよね。
ザッハさん、お久しぶりですv-411

ブログやmixiの日記でザッハさんが書いてるヴォーカル日記をいつも共感しながら読んでいます。僕も早く、感情で歌に色がつけられるようになりたいです。

尾崎の歌、youtubeにもあります~。

http://jp.youtube.com/watch?v=uqQ4vvTdvEk
「僕が僕であるために」

↑↑↑
は練習してる歌ですが、練習すればするほど、技術を超えた尾崎の強烈な「色」のようなものが感じられてしまいます。歌の存在感というか。


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