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リト後記

今回参加する二日ほど前、突然からだが異様にだるくなって、寝込んだ。
 うわーヤバい、また直前に風邪でもひいて、おじゃんか~と思ったが、半日寝ると、もとに戻った。
 なんだったのか、よくわからなかったが、なんとなく頭がボケた感じのまま当日となった。
 朝は発達した低気圧の影響で、外は暴風雨に近いとんでもない天気になっていた。
 幸い出かける頃には風雨とも穏やかになってきたが、強風による信号機故障の影響とやらで、途中の駅で一時間ほど足止めをくらってしまった。
 しかし夕方には清里に着き、セッションの開始時間には遅れたけど、なんとか無事到着。

 夕方の二時間のセッションのあと、夕食を食べて、いよいよ濃厚な神様タイムへ突入。
 最初から強烈な力が降りてくる。
 僕はそれほどエネルギーに敏感な方ではないと思うが、今回はすぐに頭を持っていかれてしまったようになった。
 そこまではよかったのだが、何か意識の変わり方がものすごく、ドラッグを使った訳でもないのにここまでとんでいることに次第にパニック気味になった。心臓が不安でドキドキとし始めた。正気を取り戻そうと、目を開けると、他の方の逝ってしまっている様子を見ながら笑っているI先生。うわーなんだ!この空間は!逃げ出したい!と突然思った。
 
 が、思いとどまり、「私は神様の子供です。このエネルギーを受け入れます」と何度か心中で呟いていると少しづつ落ち着いてきた。あ~飛び出さなくてよかった(^^;
 修道会でも、覚醒系の力が降りると、参加後全然眠れなくなってしまったりするがこの夜もそんな感じでベッドに入ってからしばらく起きていた。

 次の日の夕方のセッションの時に、昨夜感じたことを質問してみた。

 「昨夜の夜、動悸がしたりと不安がたくさん出て、その場にいたたまれないような感じになったんですが・・・・
 神に対する恐怖というかそういうのにどう対処すればいいのでしょうか?


 「我々にとっていついかなる時にも大事なのはただひとつ!それは死ぬる覚悟だよ。
 それは覚醒にしても死ぬときにしても一緒なの。常に必要なのは崖っぷちであるってことなんだよ。
 自分を常にデスパレートな状態に置いておくってことが大事な訳。
 言ったら、いつ死んでも怖くないっていうことは覚悟ができてるってことじゃん。
 いつ覚醒しても怖くなっていうのは覚悟ができてるってことでしょ?それが大事なの。
 
 覚醒する前に恐怖を感じない人間なんて一人もいないと思ったよ。
 だって自分の自我の崩壊がそこで起きるんだから、それって死とイコールなんだよ。 
 なぜ人は死ぬのが怖いか?自分がなくなるのが怖いわけじゃん。それは覚醒にしても一緒なんだよ、結局。
 そんなね~覚醒によっていい思いだけできるなんてわきゃないわけ、絶対に。

 覚醒したらね~ランランランランランラン♪なんてことはないんだよ。
 大事なのは死ぬことなんだよ。その「覚悟」なの。
 ほら覚悟って、覚る、悟るって書くでしょ?悟りを覚るのが覚悟なんだよ。

 死ぬ覚悟っていうくらい自我が消滅する前って言うのは、それを直感で感じたときすごく不安になるんだ。
 だからそこから逃げちゃだめ。それを感じるっていうことはなかなかいい線いってる。


 「昔危ない薬をやったときに、死の恐怖がどばーっとでてきたことがあるんですが、フラッシュバック的にそのことが思い出されたり・・・

 「ああ~いいねそれで行こうw

その薬飲んだときっていうのは、まあ覚醒じゃないですけど、それに近い状態だったんでしょうか

 「うん、擬似的に経験できたんだね。

 「エネルギーがすごい時にはそれが自分の中でサタン的なものに感じられて怖くなるときがあるんですが

 「それはあるよ。というのはこのエネルギーっていうのは人を覚醒させる力なんだけど、これは善でも悪でもないわけ。
 だからそのエネルギーが降りてきたときに、自分の中でどっちに行くかなの。

 だから・・・なんて言ったらいいんだろ?スピードが速まるんだよね。ものすごいラッシュする感じになるわけなんだよ。
 普通のペースで来てたのがなんか突然ラッシュしだすわけ。ていうことはここで同じ時間を過ごさなきゃならないものを
縮めるわけじゃん?それくらいスピードが速くなるのは死に近づくことなんだよ、言ったら。
 そこからも恐怖は出てくるし、それは自分にサタンチックに感じられる。
 でもそれがサタンなのかって言ったら、サタンとも言えない。まあ神なんだけどね。
 それはおかしくないよ、そんなもんさ。

 とにかく人間が思ってるようなきれいな経験じゃないんだよ。覚醒するって言うのは。
 なんか覚醒すればスーパーマンになるとか、こわいもんなくなるとかさあ・・・そりゃ当然そうなんだよ。
 でもそこに至るためには、ぶっ壊さなきゃいけないもの、死ななきゃいけないもの、いろいろわれわれの中に存在してるから。
 自分を壊そうとしてくるエネルギーはやっぱりサタンチックに感じられるし、死の恐怖って言うのも感じるし、それは常に
 そういったものとともにあるってことなわけ。

 「では死の恐怖を感じ始めたときは瞑想とかは止めたほうがいいんでしょうか?」

 「もういっちゃえ。死んじゃえ~♪死んじゃえ~♪w

 「ヤバイと思ったら覚醒するよ。俺も台所に行って瞑想する前に水のもうとしたとき、うわっヤバイ、俺今日の夜死ぬ・・・って思ったの。
 そのときっていうのはなんか死ぬ気がするのを感じたとき、それは文字通りの死だと思ってるわけ、俺は。覚醒=死って思ってないから
 自分に覚醒が起こると思ってないんだよ。それはわかってない頭から感じると、死の恐怖なの、覚醒するってことの恐怖は。

 悟りってなんかきらびやかな経験っていうよりも、死の経験なんだよね。怖くなってねそれで・・・・死んじゃうんじゃないかと。
 ・・・・・まあいいや、死ぬときゃ死ぬだろ。おれはもう死んでもいいと思ってたの、そう言えば・・・すっかり忘れてたなw
 俺はいつ死んでもいい気でいきてたじゃないか。わすれちまったのか?死ぬのを恐れちゃいかんだろ・・・・
 ってしてたら覚醒しちゃったの。その日の夜に。
 それでそのとき俺は、ああ・・・あの恐怖ってそのことか・・・と。

 自分が積み重ねてきたものってあるじゃん?
 悟りたいって言う願望はあるにしろ、積み重ねてきた私っていうのがあるわけじゃん? 
 それが死ぬってことが悟りなわけだから、それを手放すっていうのは容易なことじゃないわけ。

 こんな人生嫌だ、とかこんな僕嫌だと思っていても、いざ死ぬか?ってなると
 「やめてください」ってなるわけw

 それが覚醒なんだよ。今までにも何回かチャンスがあったんだとおもうわけ。
 その前に怖くなって止めちゃってるんだよねだから。

先生、死ぬ前に死ねっていうのはそのことなんですか?」と他の参加者の方が質問した。

「死ぬ前に死ぬっていうのは我々の精神の死を意味している。肉体の死の前に精神の死を経験する。  
でも、死ぬのは、一回!
 死ぬ前に死ななくても、実際に死ぬときに怖い思いをするのは間違いがないことなんで、その前に
怖い経験をすれば、そのとき覚醒するわけじゃん?そうすると本当に死ぬときには怖くなくなる。
 肉体の死が来てもそれは受け入れられるんだよ。怖がるようなものではなくなる」 






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修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2008/04/29 12:44
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