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リト後記(6)

 「どうM君、いい感じ?」

 と先生にふられた。

 「はい、いい感じです」
と応える。

 「なんかキノコとかが覚めてきたときの感じに似てない?」

 20人近く人がいるのに、普通ののりでキノコの話しになった。
 僕も普通の会話のように、

 「そうですね、だんんだんまったりしてきたときとかに似てますね~」
と返した。まあ夕方に「危ない薬で死の恐怖がどうたら」とかいう話しをしているから、普通といえば普通だが。しかし、他の人にヘビードラッグユーザーのように思われてる気が・・・。え~と今は足を洗っています、ダメージが怖いから。

 「強い覚醒系のやつをやったときに覚めてきたときの感じに似てるでしょ?
あれもある種の意識のさめた状態に強引に、シロシビンの力でもっていくわけだからさ。
意識が覚醒した状態って言うのはかわらないわけ、これと。

  なんかきた?


 「ハートのあたりが暑いというか、せつなくなるというか・・・

 『切なくなるね。切ない、いい表現だねえ。Sちゃん、どんな感じ?』

 「昨日より、覚めて頭がクリアな感じ。

 『そう覚めてるでしょ?覚めてる感じっていうのは一種の覚醒状態なの。
 覚めてるって言うのがお母さんがもたらす覚醒のひとつの特色なんだよね。
 この覚めてる頭でいろんなことを考えると、いろんなことの答えが見えてくるわけ


 俺は昨日や今日の力によって覚醒してるじゃない?
昨日の力が来たのが11月で、2000年の5月半年後にこれが来て、この状態になったわけじゃない?
 最初のうち昨日の力が来た段階では、まだマーヤっていうのを理解してないから、神があるときとないときのギャップがすごくあってさ。それがなにによって起こるのかが全然わからなかった。お母さんが来たことですべて謎がとけたわけ。


 でもねこれはね・・・俺にはこうやってきたけど、これは人には伝えられないもんだなと。
 わかる人にはわかるけど、わからない人には絶対わからないっていう・・・。
 でもさこうやってリトやって、20人近い人がそのエネルギーの中にあって、そのエネルギーが誰一人人を避けることなくこうやって降りてさ。それをみんなわからないながらも、昨日と今日は違う、だったりとかを感じている。
 切ないだったりとか、覚めてるだったりとかさ、それはどれも言い得てることなんだよ。
 このエネルギーに自分が反応できてるってことじゃん。俺ははっきりわかってるっていう違いがあるだけでね。


 
 俺は当初の2000年の段階では、このエネルギーをこんなに多くの人と共有できるなどとは、夢にも思わなかったからよ。個々には降りてくるだろう。そんななかでAちゃんなんかが最初に覚醒した経験をしたときに、「先生~これは誰にもわからないですよ~」って言ったわけ、俺に。俺も「だよなあ」みたいな。
でも、「俺はこれをたくさんの人と共有することが、俺の役割なんじゃないの?」みたいなね。「無理ですって~」って言ってた。
 でも、今やこうだよ。
 で、みんなにとってはわかんないながらも、ああこれはこういう感じなんだなっというのを繰り返し経験し、覚えていくことでさあ、何年後かにはもっと明確な認識にたどり着いてるはずだ。あっお母さんが来たとかさ。あっこれは神だとかって。
わかるようになるわけだもん、だって。
 そしたらきっとそのときには別のことが、その段階では動いてると思う。


 すごくうれしいよね。
 で、お母さんがその気だってこともうれしいよね。
 俺で留めて終わりじゃなくて。お母さんのやる気がうかがえることがうれしいなみたいなw


 しばしの沈黙の後

 『いいね~とってもクリアだね。  覚めてるね。
 俺なんか全部透明にみえるもん、今。』
と先生が言った

 『もうね・・・建物もないよ。俺にはもう夜空が見えてるからw

 えっ!ど。どいうことなんだ・・・先生にもそんなマーヤな能力があったのか・・・!と一瞬思うが・・。

 『これらの建物を障害物としてわれわれに見せてるのは、お母さんじゃん。透明感を与えないのもお母さん。
 あれがマーヤだこれがマーヤだっていう印象を与えてるのもお母さん。でもこのお母さんのエネルギーとひとつになればすべてスケルトン!なくなっちゃうんだよ。あるけどねw

 夜空が見えてるわけでもない。
 ただこれが障害物として、物体としてもう俺には存在しないってことなんだよ。』


 う~ん、これは経験してみないとわからない類のことなのだろう・・・。でも透視能力よりある意味すごいのではないか。
 このあと大人の脳の溶けてしまわれた先生の、楽しい笑い話がひとしきり。

 お母さんのエネルギーにふれるとエクスタシーの状態になってしまう男性の参加者の方が、湧いて来る感情の力の処理に困っている。

 『テイクアウトしなさい。
 帰って、自分の息子にあげなさい。
 私がママよってw
 お前のお母さんは本当は私なのよって(爆笑)

 確かにどうしょうもないと思う、あふれてて、あふれて。
 でもそこをコントロールできるようにならないとまた神様に思いっきりどやされるからね。
 干されるよ~イカの一夜干し!みたいなね。

 でもそのエネルギーにあふれるって言うのは全然悪いことじゃないんだよ。
 それをコントロールするすべを学ばなきゃいけないってこと。
 とまらなくなる。それはもうわかる、俺も経験済みだから。


 「ハグしたい・・・

 『枕でも抱いて寝ろ!じゃあw
という先生の一声にまた爆笑。

 『この愛の力は困ったことに、出ちゃう人は、受け取ってくれう人を求めちゃうんだよ。
 で、逆にそれがあるってことを知ってる人は、それをくれる人を求めちゃうんだよ。でもそれは人に求めるところじゃないわけ。
 それを与えてくれるのは神だから。だからその愛をもらいたい人は、人じゃなくて神にそれを求めなくちゃいけない。
 言ったらその愛を神にお返ししなきゃいけない。人にあげたり、人からもらったりって身近だから、そっちに行っちゃう、大方。
 そうするともう間違ったことになってしまう。神と交流しなきゃいけない。
 俺もいっぱい見せられてきた。
 その愛があふれて、その愛を与えたい。で、その与えたいというのが押し付けになってくるわけ、結局。押し付けられたくはないじゃん。その愛迷惑ですみたいな。すると拒絶するじゃん、そうすると自分の中で母性は発狂するんだよ。
 だからそれを人に与えようとしてはダメ。またそれを人からもらおうとしても。

 人間っていうのは底なしにその愛が欲しいんだよ。その愛を知ってれば知ってるほど、それは底なしの愛だってわかってるから、底なしの愛を受け取りたくなるんだよ。だからくれくれってなる。もう泥棒みたいになってくるわけ。
 それやられるとあげたくなくなるじゃん、今度は。どっちもブーなわけ。

 だから人に・・・じゃないんだよ。
 そのエネルギーを神と自分の間で使えばそれは十分覚醒につながってくるってこと。
 人に使ったら怒られるだけだからね
。』

 ということで、終わったら、部屋から出ないで、ベッドでおとなしくしてること!という先生のきつ~い?注意のあと、お母さんの祝福とともにあった夜のセッションは幕となった。


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修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2008/05/14 22:41
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