透け透け

  日月神示の伝える、『アセンション(?)』の世界

 
  「八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変わるのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ。今までは時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今までの岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきぢゃ

 「半霊半の物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん。今のやり方ではどうにもならなくなるぞ。今の世は灰にするより他に方法がない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生まれつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ

 「都会へ都会へと、人間の作った火に集まる蛾のような心では、今度の御用出来はせんぞ。上っ面飾りてマコトない教えのところへは、人は集まるなれど、マコトの道伝えるところへは、臣民なかなか集まらんぞ。見て御座れよ、いくら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ

 「神の世と申すのは、今の臣民の思うているような世ではないぞ、金は要らぬのざぞ、お土からありがたいものが光て来るのざぞ、衣類、食べ物、家倉まで変わるのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあろうがな、誰でもそれぞれに先の判る様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝くぞ、水晶の様になるのぞ。博打、娼妓は無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきように吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地に満ち満ちて、嬉し嬉しの世となるのざぞ

 「神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりてその御役、位、判るのざからミロクの世となりたら何もかもハッキリして嬉し嬉しの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、タマ入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四ツ足も皆唄うこととなるのぞ、み光に皆集まりて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ

 「よき世となったら、身体も大きくなるぞ。命も長くなるぞ。今しばらくざから、辛抱してくれよ。食物心配するでないぞ。油断するでないぞ。皆の者喜ばせよ。その喜びは、喜事となって天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。喜びいくらでも生まれるぞ




  「水晶の世」というのを去年の終わりごろ、ある講演会で聴いたのだが、この日月神示の文章と照らし合わせてみると霊的身体がおもてに現われでて丸見えになり、物質的肉体がある意味あまり意味を持たなくなるということのようだ。

 さらに、以前参加したとあるセミナーで「自分の想念や感情が四方八方にいろいろな形(光や色)で伝わっていると知っても穏やかでいられることが、自由であること」という言葉を聴いたことなども思い出した。
 
 現在の僕らは心のプライベートな領域と、外面に表現する自分を使い分けることが当然となっている。しかし、これは実は相当なストレスになっていることなのではないだろうか。本音と建前の使い分けは「大人になること」であるともみなされる訳だが、それは「嘘と本心」の葛藤と神一重のところにある。

 つまり、その「嘘と本心の葛藤」を当然の前提として成立しているのが、現在の社会であるとも僕には思える。そしてそれは自分自身の心的構造の一部でもあるように思う。
 「嘘」といって悪ければ、「自分自身を隠そうとする働き」とも言い換えられるだろう。
 
 しかし、なぜ自分自身を隠そうとするのかと言えば、そのままの自分を外部にさらすのは到底耐えられないからであるという想いがあり、そうすれば他者から怒り、さげすみ、哀れみ、嫌悪などを向けられるに違いないと恐れるのためだろう。
 その他者からの(葛藤)エネルギーにより、さらに内部が分割され、葛藤を経験することを恐れているのだ。

 これがいわゆる「羞恥心」と呼ばれるもので、失楽園以前のアダムとイブに羞恥心がなかったと言われるのは、単に服を着なくても平気だったというのではなく、こころを裸で世界にさらしてもまったく何の葛藤も無かったということではないかと思われる。

 しかし多くの場合、多大な自己嫌悪や自己憎悪がこの種の葛藤を発生させているので、それは「愛」に触れることで徐々にブロックがはずされていく。なぜならその「愛」はそのままの葛藤をも含めて容認し、包み込んでいるからだ。
 この「愛」は、神様から、そして「嘘と本心の葛藤」を超えている人から来る。 
 
 神示を、そして世の中の動きを見ると、嘘をつくこ、「隠すこと」とが難しくなって来ているように思える。これは別に、産地を偽装している食品会社やWTCを倒壊させた人々だけの問題ではなく、個人のレベルでもその傾向が強くなっていく。

 世の中がスケルトンになっていく時
 それを異様に恐れる人も、「あ、そうなんだ」で済ませられる人もいる。

 僕は・・・ちょっと怖いw


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日月神示 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2008/07/08 13:12
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