愛の力量
最近眼にした文章のなかで、印象に残ってるものがある。出典はかなりマニアックで、サイケデリクスの探求者といわれるD.M.ターナーが書いた「サイケデリックス 幻覚ドラッグ必携ガイド」から。
ケタミンという有名な化学物質がある。これは麻酔薬として開発された物質であるが麻酔の効果が切れる際に、患者さんが奇妙な体験をすることが多く次第に使用されなくなったらしい。
生理学的に言うと、ケタミンは大脳新皮質を抑制する代わりに原始的な脳である辺縁系を賦活すると言われている。
辺縁系は宗教的な体験と関係があるのではないかと考えられている脳だ。
イルカ研究で有名なJ・C・リリーはこの物質を使用して、アイソレーションタンクに入り彼岸のリアリティーを探求した。
さらにケタミンは、ロシアの精神科医クングルチョフ博士によってアルコール依存症の治療にも使われていたという前歴があるようだ。
このロシア人の博士は研究記事の中で次のように書いている。
「パーソナリティーのタイプとケタミンによる体験のタイプとの間に相関関係がある。自由になることが困難な人や、人間関係に問題のある非常に管理された人は、ケタミンにおいてネガティブな体験をすることが多い。そういった人たちにとって個人が解体してしまうということは恐ろしいことである。
リラックスして身を任せることができる人たち、深い愛の力量を備えている患者たちにとっては、たいていの体験は至福に満ち、恍惚でさえある。」
僕の場合ケタミンを経験していないので、すべて聞きかじった情報に過ぎないが(日本では入手は難しい)、この物質は麻酔薬というだけあり筋肉注射したり、鼻から吸い込んだりするとまず動くことが困難になる。
そして体外離脱や、光のビジョンなど臨死体験を思わせるような体験が誘発されることが多い。
あのティモシー・リアリーはケタミンによるトリップは「自発的な死の実験である」と言い、ホロトロピックセラピーの創始者スタニスラフ・グロフは「ケタミンの完璧なトリップを体験したら、あなたは『死』が存在しないことがわかるだろう」と言っている。
どうやらケタミンという物質は、肉体は生きたままで人間の意識を死の境界線の向こう側へと誘うことができるようだ。
別の言い方をすれば、ケタミンは人間をして、「死を越える世界と遭遇したと認識させる」ような作用を持つのだろう。
しかし、ケタミンを服用すれば誰でも自動的に、生死を超越するような素晴らしい経験をする訳ではない。
そのような生と死の境に放り出された時にどのような体験をするかは本人の潜在意識もしくは、魂の姿勢といったものと密接に関係しているということを先に引用したクングルチョフ博士の言葉は教えている。
そして、そこで重要なのは愛であり、受容性(抵抗しないこと)だと言っているのである。
もともと人間存在とは、「抵抗そのもの」であるという言い方もできるかと思う。私たちは常に死から逃走しており、生と死の狭間のその緊張状態が「生命現象」と呼ばれる何かなのではないだろうか。
「抵抗」と言う現象は実に多次元的に、様々なレベルで現われている。
まず肉体のレベルでは、肉体を維持し生き残ろうとする根本的な生命衝動として。 そして精神のレベルでは、形而上的に構築された虚構の自我を守ろうとする力として現われている。
まず確かなことは、全てのレベルにおける抵抗の極度の亢進は苦痛以外の何ものでもないということだ。
全てのレベルにおいて、抵抗が亢進するということは、全てのレベルにおいて、決して死ぬことができないということである。
もともと魂は、部分的な死と再生を繰り返すことによって成長・進化するのではないかと僕は思う。
抵抗とは、このプロセスの拒絶に他ならない。
しかも困ったことに(喜ばしいことに)、どれほど抵抗しようと、このプロセスは決してとまらないのである。
苦痛の叫び声を上げながら引きずられていくか、あるいは流れに身を委ねるかという選択ができるだけだ。
抵抗すると、人は抵抗したそのものに対して無自覚になる。
何かに抵抗しつつ、そのものをじっと見つめることはできない。
その結果人は抵抗したそのものに対して、無理解となる。
心理学的に言えば、人が抵抗した観念は抑圧され無意識の内に封印される。
そしてその封印された無意識が、人をコントロールし始める。眼をふさいだもの、受け入れなかったものに支配されてしまうのである。 秘教的な教えでは、人は十分に目覚めていない限り死の際に無意識になってしまうと教えている。
これもやはり死に対して、身を委ねるということができないために起こるのではないだろうか。
抵抗しないこと・受容性とは、愛そのものでもある。
世界に対する理解そのもの、知恵そのものでもある。
いつか必ず来る、死というトリップを最高のものにするために、セット&セッティングを整えていきたいものだ。
ケタミンという有名な化学物質がある。これは麻酔薬として開発された物質であるが麻酔の効果が切れる際に、患者さんが奇妙な体験をすることが多く次第に使用されなくなったらしい。
生理学的に言うと、ケタミンは大脳新皮質を抑制する代わりに原始的な脳である辺縁系を賦活すると言われている。
辺縁系は宗教的な体験と関係があるのではないかと考えられている脳だ。
イルカ研究で有名なJ・C・リリーはこの物質を使用して、アイソレーションタンクに入り彼岸のリアリティーを探求した。
さらにケタミンは、ロシアの精神科医クングルチョフ博士によってアルコール依存症の治療にも使われていたという前歴があるようだ。
このロシア人の博士は研究記事の中で次のように書いている。
「パーソナリティーのタイプとケタミンによる体験のタイプとの間に相関関係がある。自由になることが困難な人や、人間関係に問題のある非常に管理された人は、ケタミンにおいてネガティブな体験をすることが多い。そういった人たちにとって個人が解体してしまうということは恐ろしいことである。
リラックスして身を任せることができる人たち、深い愛の力量を備えている患者たちにとっては、たいていの体験は至福に満ち、恍惚でさえある。」
僕の場合ケタミンを経験していないので、すべて聞きかじった情報に過ぎないが(日本では入手は難しい)、この物質は麻酔薬というだけあり筋肉注射したり、鼻から吸い込んだりするとまず動くことが困難になる。
そして体外離脱や、光のビジョンなど臨死体験を思わせるような体験が誘発されることが多い。
あのティモシー・リアリーはケタミンによるトリップは「自発的な死の実験である」と言い、ホロトロピックセラピーの創始者スタニスラフ・グロフは「ケタミンの完璧なトリップを体験したら、あなたは『死』が存在しないことがわかるだろう」と言っている。
どうやらケタミンという物質は、肉体は生きたままで人間の意識を死の境界線の向こう側へと誘うことができるようだ。
別の言い方をすれば、ケタミンは人間をして、「死を越える世界と遭遇したと認識させる」ような作用を持つのだろう。
しかし、ケタミンを服用すれば誰でも自動的に、生死を超越するような素晴らしい経験をする訳ではない。
そのような生と死の境に放り出された時にどのような体験をするかは本人の潜在意識もしくは、魂の姿勢といったものと密接に関係しているということを先に引用したクングルチョフ博士の言葉は教えている。
そして、そこで重要なのは愛であり、受容性(抵抗しないこと)だと言っているのである。
もともと人間存在とは、「抵抗そのもの」であるという言い方もできるかと思う。私たちは常に死から逃走しており、生と死の狭間のその緊張状態が「生命現象」と呼ばれる何かなのではないだろうか。
「抵抗」と言う現象は実に多次元的に、様々なレベルで現われている。
まず肉体のレベルでは、肉体を維持し生き残ろうとする根本的な生命衝動として。 そして精神のレベルでは、形而上的に構築された虚構の自我を守ろうとする力として現われている。
まず確かなことは、全てのレベルにおける抵抗の極度の亢進は苦痛以外の何ものでもないということだ。
全てのレベルにおいて、抵抗が亢進するということは、全てのレベルにおいて、決して死ぬことができないということである。
もともと魂は、部分的な死と再生を繰り返すことによって成長・進化するのではないかと僕は思う。
抵抗とは、このプロセスの拒絶に他ならない。
しかも困ったことに(喜ばしいことに)、どれほど抵抗しようと、このプロセスは決してとまらないのである。
苦痛の叫び声を上げながら引きずられていくか、あるいは流れに身を委ねるかという選択ができるだけだ。
抵抗すると、人は抵抗したそのものに対して無自覚になる。
何かに抵抗しつつ、そのものをじっと見つめることはできない。
その結果人は抵抗したそのものに対して、無理解となる。
心理学的に言えば、人が抵抗した観念は抑圧され無意識の内に封印される。
そしてその封印された無意識が、人をコントロールし始める。眼をふさいだもの、受け入れなかったものに支配されてしまうのである。 秘教的な教えでは、人は十分に目覚めていない限り死の際に無意識になってしまうと教えている。
これもやはり死に対して、身を委ねるということができないために起こるのではないだろうか。
抵抗しないこと・受容性とは、愛そのものでもある。
世界に対する理解そのもの、知恵そのものでもある。
いつか必ず来る、死というトリップを最高のものにするために、セット&セッティングを整えていきたいものだ。
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