黄金太陽とトーラス、アトウォータの幻視、あるいは『マカバ』②

  トーラス

 太陽や地球も含む惑星は球形をしているし、銀河は螺旋状に渦を巻いているように見える。
ではそれらを含む宇宙全体の基本形態はどのようなものか?
 フィリス・アトウォータは『臨死体験 未来の記憶』の中で宇宙はトーラス状なのではないかという仮説を展開している。
 トーラスとは以下のような、ドーナツ状の形態だ。

          081113_1326~02

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 球の中に管が通ったような形と言ってもいい。
 トーラスとはその表面をなぞっていると、いつのまにか外が内に、内が外にと変化している。
 メビウスの輪のような構造と言ってもいい。
 アトウォータはこのトーラスの上部、下部の出口がそれぞれ、ブラックホール、ホワイトホールであり、ブラックホールから吸い込まれたエネルギーは、トーラスを通り抜ける間に新しく再生され、ホワイトホールからまた放出される、この運動の繰り返しによって宇宙は全体が進化しているのではないかと考えてみた。

 それが事実かどうかはさて置き、このようなトーラス状のエネルギーの流れはいろいろなところで観察できる。例えばそれは地球を流れる磁気の流れだ。

 この図のトーラスは、管の入り口部はいずれも拡がっているが、中央部に行くにつれて収束して、中心ではゼロポイントを形成しているように見える。ここでは何が起こっているのだろうか?

 臨死体験でふたつのサイクロンを見たアトウォータは、自分は宇宙的トーラス構造の断面図を見たのではないかと思った。以下、彼女の体験の続きを見てみる。







 上のサイクロン(私がサイクロンと呼ぶのは、それを見た時、サイクロンを連想したからである)の中には私、フィリス自身が見えた。それはほんの小さな点ぐらいでしかなかったが、私であることは確かに見分けられた。 フィリス自身の姿に重ね合わせて、私の過去と未来が、現在の人生と同じ時間、同じ空間の中で展開していた。私の周りには、私が知っていた人々の姿もあった。そして、彼らにも私と同じことが起こっていた。彼らの回りにも他の人々がいて、さらにその他の人々のまわりにもいた。そしてすべての生命形態がこのサイクロンの中に存在し、そのひとつひとつに同じことが起こっているのがわかった。しかし、何一つとして、また、誰一人として、膨張と収縮以外に(現実的な)運動をしているものはなかった。まるですべてのいのちが、それが存在する環境とともに、息づいているかのようだった。

 運動しているように見えた、それぞれの役回りを演じている生命形態は、実のところホログラムに似た光学的な知覚上の幻影のようなものにすぎなかったが、それでもそれは、個々の、あるいは集合的な意識の形態が引き起こした、脈動する波の振動によって作られたものだった。その生命形態のうちいずれかが自らのシナリオ全体のパターンを変えると、その個人の未来だけでなく(過去)、時には他人の過去や未来も変えてしまうことになるだろう。それぞれの生命形態は個々に独立してはいるものの、網の目のようなものを構成する、細くまばゆい光の糸によってその他の全てのものに結び付けられていた。

 上のサイクロンの中で起こったことは、また、下のサイクロンの中でも起こっていた。言い換えれば、私、フィリス自身とその他の生命形態は、同じ関係、同じ状態で両方のサイクロンの中に存在していた。つまりしたのサイクロンは、上部の鏡像になっているのだ。その光景全体を最初に見た時の印象はまるで巨大な大渓谷いっぱいに大きなこだまが響いている、そんな感じだった。

 サイクロンの強烈な回転力はまた、それぞれの渦の外周部で反対の回転を生み出しており、その過程で別のエネルギーの高まりが現れてきた。この新たなエネルギーの高まりが、各サイクロンの左右に空間を作り、その副産物として、暗闇と光を作り出しているように見えた。こうして、右側に光が現れると、左には暗闇が広がっていった。

 これを見た私は、回転するサイクロンの副産物である暗闇と光が、同一の力学から生じる、正反対の「サイン」であることを悟った。それらはまた、人がそうした現れ方の意味を理解しながら体験できるようにするためのメカニズムとコントラストを備えていた。暗闇と光は、絶え間なく自らを再創造し、変容し続ける創造の営みから産まれた必然的な副産物なのだ。
 私にはまさしくそう感じられたし、宇宙の創造に立ち会っているかのような感覚があった。

 私は、今まで「いのち」と呼んでいたものに何の興味も持てなくなり、放射される力の光線に
ただただ魅了されていた。サイクロンの噴出孔の真ん中からたえず発散されている、この刺すような光線は私に触れてもいいはずなのだが、まったく触れてはこないのだ。その空間、その場所は、私にとって神へと至る入り口であるかのように思えたので、私はその中心に向かって行こうと決心した。
 私はかつてそこからやってきた。だからそこへ、神の世界へ戻るのだ。それが私の願いだった。
 

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アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2008/11/17 23:37
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