沈黙の聖者

MeharBaba.jpg


 電脳空間をさまよってる時に見つけた、メヘル・ババのスマイル。

 言葉で語ることが無意味であると感じ、40年以上にわたって沈黙を続けたという。
 僕は、メヘル・ババとはまったく違う意味で、あまりしゃべれなくなってきた。自分は、何も知らないということがますます自明のことになっていくに連れて・・・。

 ダンテス・ダイジとの出会いを綴った文章を見つけた。
 以下のページのメルマガvol.9~14あたりに連載されている。
 
 http://www.sun-inet.or.jp/~yuto/whatnew.htm 

 
 あんまりこっち系の世界に詳しくない人が読むと、単なる基地外さんにしか思えないかもしれないな・・・。
 僕は会ったこともないのに、勝手にダイジを敬愛していたが、「和尚とはアトランティスで酒飲んだ」にはさすがに引いたかな。
 しかし、普通ではない凄味は充分伝わってくるので、読めてよかった。
 ダイジがババジとどうやって出会ったかということや、「スケ番」のクンダリニーをあげて三分間殺したエピソードなどが面白い。
 渡辺郁夫さんの講話録のイメージとは大分違う、狂気を感じさせるグルの姿がある。なんでも、夜中に弟子の家にやってきて、眠っている弟子をいきなりぽこぽこ殴りつけ続けたとか・・・・。いやー
 
 すごい。

 貴重な資料なので、ワードにコピペしておいた。
 このホームページは、掲示板がすごいことになっているのでいつ消えてもおかしくはないだろう・・・。まるで死肉にむらがるハイエナのように、出会い系の書き込みが殺到しておるので。

 「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」の瞑想法を久しぶりに少しやってみて、チャクラ全開瞑想は、上下の軸と左右の軸を無限大に拡大するんだなーと思った。上に上げすぎたら気持ちいいけど、もしや戻って来れないのではという感じも。
 瞑想における空間の使い方・・・・というか、そういうの気になる。
 I先生はこの前、「手のひらの上に地球と太陽系が収まるくらいにまで意識を宇宙に飛ばすのも良い」というようなことを言っていた。
 自我意識が振り回されている日常の出来事も、意識を引き上げれば、ちっぽけな米粒のような世界の中で起こっているに過ぎないということ。
 「空間的に」意識を拡大すればするほど、結局は転変する現象の舞台は視界から消えて、不変の空間が多くなってくる。悟りはすごくスペーシーな感じらしい。
 
 今日は瞑想していたら、また身体と意識の位置が軽くずれている感じがした。眼を閉じて、「神のみこころののままに」と想うとまた回りだした。
 
 くるくるくるくる



スポンサーサイト
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2005/09/04 21:03
コメント

管理者のみに表示