スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

女神の性質⑦

 竜神と申しているが竜神にも二通りあるぞ。地からの竜神は進化して行くのであるぞ。進化を嘘ざと思ふは神様迷信ぞ。一方、天からの竜神は退化していくのであるぞ。このふたつの竜神が結ばれて人間となるのであるぞ。 
                           日月神示     白銀の巻 第二帖



 △と▼、融合/フュージョン、二匹の龍、無の陣営と無限の陣営

 このシリーズは原初の女神の性質や、その影響がユングのアニマ・グレートマザーという元型やグロフのBPMの概念の中ではっきり現れているということ、また『女神』という存在は人を眠らせるものであると同時に目覚めさせるという相反する二面性を持っていると言うこと、それは女神の愛に基づいているということを主に書こうと思っていた。
 その二面性は、スワミスリ・ユクテスワの『聖なる科学』の中でアーナンダ(マーヤの無限創造力)と、チット(全知の愛・神への牽引力)として語られている。神への反力と、引力である。

 しかし、ここに前に考えていた△の事がいつのまにか混ざってきたのだが、結局△は二次元において最小の点で構成される最初の図形であるので、母のシンボルとみなしてもそれ程間違ってはいないのではないかと思った。
 ひとつの・はケテル(絶対者)。
 ふたつの・と・を結ぶ線はコクマー、垂直的な原初の男性エネルギーだが、まだ形を持っていない。 みっつの・を結ぶことで初めて空間を三角で切り取り、世界内世界(ビナー)が出来る。 
 これを仮に△とする。
 この三角にはまだ極性がない。しかし形を持っていると言う意味では陰性だ。
 もっとも根本的な陰性とは、陽性と陰性が現れるために提供された場のことなのだ。
 これが△でシンボライズされる。
 混乱しそうなのでこれを原△としておく。
 この原△が陽性を帯びたものが △(火の三角形)
 陰性を帯びたものが ▼(水の三角形)だ。
 僕の頭の中で△(火の三角)と▼(水の三角)に結びついている観念群を以下に記す。

  火(日)天  霊(ヒ) 男性原理 富士 ピラミッド 富士の仕組 上昇 ・

  水(月)地  身(ミ) 女性原理 鳴門の仕組 (見えない)ピラミッド 下降 ○
    竜宮の乙姫様=音秘(オトヒメ)



 そして△と▼の融合に結びついている観念群は次のようになる。
 

 △+▼

 ヘキサゴン かごめ紋様 マカバフィールド 黄金太陽 ◎(丸にチョン 日月のマーク)

 日月の神(みろく) 身(ミ)+霊(ヒ)=半霊半物質 ミロクの世 六角形(ヘキサゴンの頂点を結ぶ)


 これを見て感じるのは今さかんに言われている「アセンション」というのは上昇だが、どうも言葉のニュアンス的に今起こっているのは「融合」/fusion/フュージョンと呼んだ方が良いような気がしてくる。
 なにかもっとも根本的な世界が二つに合体しようとしているような、そんなイメージなのだが。。。
 アセンション(上昇)しよう、よりも、フュージョン(融合)しよう!の方がよくありません?(笑)
 
 アセンションはある意味、肉体の放棄と言う印象もあり、また全て現在の生命は滅び、霊的にのみ上昇するのだと言う風に極端に語る人も居るわけだが、フュージョンは身と霊が今とは違う形で融合した世界を示している。それは霊肉の二元論が真の意味で終息した世界だ。(なにが正しいかは知りませんが)だから、アセンションではなく、フュージョンが起こるなら、そこには現在の意味での生と死はなくなる。

 霊的な上昇気流というのは、現在ではなくても昔からあった。
 しかし、もし現代がクンダリニーが上がりやすくなっているとしたら、確かにアセンション方向の上昇力と言うか、牽引力は今までになく強くなっているはずだ。
 冒頭に引用した、進化していく地からの竜神はこの上昇力に当たる。△(火の三角)だ。
 そして退化していく天からの竜神は▼(水の三角)だ。
 このふたつが結ばれて人間となる。これはDNAの二重螺旋なども連想させるが、進化力と退化力のふたつの力が人間の中で働いているということにもなる。

 占星術師の松村潔氏は著書『日本人はなぜ狐を信仰するのか』のなかで、この昇り竜と降り竜(?)のことを、「無の陣営と、無限の陣営」と呼んでいる。というか進化力と退化力というものを僕はこの本で初めて読んだのだが、同じことが「日月神示」の中にもあったので少し驚いた次第だ。
 以下「日本人はなぜ狐を信仰するかのか」より。

 「ところで、神、大天使、小天使、人、哺乳動物、無脊椎動物、植物、鉱物という序列のそれぞれの端にあるものは何だろうか。例えばグルジェフは神の上には無があり、鉱物のしたには、無限があると説明する。無は全ての根元にある唯一的な原理がやってきたところ。無限は分裂の果てに、いかなるものも物質としての結晶化が不可能となった暗黒の領域である。
 上層の無や神の領域へ一体化するというのが、古来からの宗教の求める理想である。こうした意味ある行為を打ち砕くのが、対極にある無限の概念だ。

 ピュタゴラス派たちの「自然数にはロゴスが宿る」という牧歌的な哲学も、彼ら自身が無理数を発見することで、無限の数字の連鎖という概念が存在することに気がつくようになり、この段階で、数字が無味乾燥なものになってゆく果てしない徒労感を感じることになった。神聖な数の魂は、ただの通し番号に化けていくのである。数字には何の意義もない。ひとつひとつが大切な宝物だったのに、その宝物が世界中に果てしなく無限にあるとわかると、愛着は失われ気持ちはすさんでいく。それはレアなものでもなんでもなく、どこのコンビにでも売っていますよと言われると、買いたくなくなる。
 つまり無に対する無限という位置づけは、愛情に対する無関心さ、有意義に対する無意味さ、運命と感じるものはただの偶然にすぎなくなり、人間的な感情に脱力感、喪失感などをもたらす働きでもある。

 有意義のきわみにある無と、無意味のきわみに在る無限の間に、縄梯子のように張られた生命圏のつらなり、神、大天使、小天使、人、哺乳動物、無脊椎動物、植物、鉱物というつながりのなかで、わたしたち人は自分たちに割り当てられているところに住んでいるのであるが、人の上にあるものは人の目には見えないので、精神を通じて理解し、人の下にあるものは見えるので、物質とみなすことができる。

 宗教と唯物論のような古典的な対立は、無に向かう陣営と、無限に向かう陣営の見解の違いだ。生まれ変わりがあり、人には生きている必然的な理由があるとする考えに対して、人は肉体組織の集積に過ぎず、死んでしまえば何も残らないのはわかりきっているのにと主張する考えも、どちらが真実かという問題ではなく、その人の考え方が、無と無限のどちらにより関心が向かってるかということなのだ。

 無から無限へ、無限から無へ。この両方の流れは常に働いている。無あるいは神の領域から、地上に力は降り注ぐ。これは分化のプロセスで、しばしば創造の光線の下降という言葉で識別する。
 となると、反対の流れは、物質的に縛られたものが、ばらばらに分断された存在状態から、統合化され、意識として強い高揚感を伴いつつ、神と一体化するような喜びの体験を得るという方向性で、これは進化の、あるいは上昇の意識と名づけることが出来る。

 どの場所でも、この相反する流れが同時に働き、つまりは神から鉱物への序列の中で、自分に割り当てられたことろを担当して、両方向から来る力の通路となっているということになる


 僕はいつも究極的な存在は「神」として考えているので、「無」と言われると若干違和感があるが、それはこの際どちらでもいい。(自分なら多分「神への陣営と、虚無への陣営」とでも呼んだらフィット感がある。)
 注意すべき点は、おそらく神への陣営が「善」で、虚無への陣営が「悪」だなんてことはいえない点だ。この二つの流れは必要があって存在しているものだろう。
 「虚無への陣営」は物質を細分化するので、科学の発展や、テクノロジーの向上に益することも多いだろう。また現代物質的に支配力を発揮するのはこちらの陣営である場合が多い。世界中の富を今集めているのはおそらくこちら側に強い親和性を持つ霊統の人々ではないだろうか。
 彼らは物質と貨幣をコントロールすることで、この世界の破壊と再生の役割りを担っているように思う。(彼らが意識的にやってるか、無意識に動かされているかは知らないが)これが日月神示の「イシヤ」だ。
 しかし、人は必要に応じて、上昇方向もしくは下降方向のどちらかの流れに乗ってその時々に必要な経験をしているのではないだろうか。
 例えば、人間が肉体に受肉するプロセスも、「下降潮流」に乗っているだろうし、なにか精神から物質的形態を産み出すことも「下降潮流」に乗っている。
 一方人が肉体を離れる時は普通「上昇潮流」に乗ることになるだろう。「上昇する竜」の背に乗るのだ。
 この世界では下降潮流と上昇潮流がないと何事も成り立たないのではないだろうか。そして個々人がどちらの陣営に属しているかということは刻一刻変わっていくので簡単に言えるものでもない。



 火、男性性

 個人的な感想で、妄想に近くなるかもしれないが僕は、去年の終わりごろから「火」の要素が活発になってきているように感じる。コルマンインデックスで新たなサイクルDAY6が始まった直後、渋谷で花火倉庫になっていた建物の一部が爆発炎上するという事故があった。
 おそらく同じ時期だが、自室のコンセントが漏電しプラグ部分のプラスチックが熱で溶け、部屋中にいやな匂いが充満した。すぐに気付いたからよかったけど放置していたらやばかったかもしれない。

 年末から年始にかけて雨が2週間近く降ることはなく、全国的に火災が相次いだ。
 「乾燥」というのは火のエレメントを強化する要素だ。
 世界的に見ると、11月後半のムンバイーテロ、年末からのイスラエルによるガザ空爆などで炎や黒煙の映像を見ることが多かった。
 2月2日、節分前には、浅間山と桜島が同じ日に噴火して、この時期に富士噴火、あるいは爆発炎上などの「夢」を見る人が多かった。歴史的に見ると大規模な浅間の噴火の後には、富士の噴火が連動して起こっているようなのでこれは故なきことではない。ただし今回の噴火はそこまで規模は大きくなかったようだが。
 2月4日以降、中国北京で旧正月の打ち上げ花火を行っているときに、中国中央テレビの高層ビルに引火し、ビルが真っ黒に全焼した。また中国では三ヶ月間ほとんど雨が降らないと言う極度の旱魃がまた起こっている。
 オーストラリアでも記録的な旱魃と熱波で気温は観測史上最高の46度を記録した。これらの要因によって起こったと思われる大規模な森林火災では、東京都の二倍に匹敵する面積が燃えた。

 このように見ると「火」とは恐ろしいものだが、「火」の性質をメタフィジカルに考えてみると、「火」とは形態を変化させ、それを上昇させるものでもある。なべに氷を入れて、それに火をつけると、氷は水になる、さらに時間がたつと、水の分子が激しく運動をはじめ沸騰する。沸騰した水はやがて蒸気となり空気中に上昇していく。
 この時に起こることは、水分子の「振動数」の増加である。固体の氷であった時には密接に結びついてあまり動かなかった分子が、熱を加えられることによってばらけて、活発に動き出す。 あたためられ蒸気となった水は空気中を上昇するが、これは気体となった水分子が周りの大気よりも軽くなるためだ。

 この火の上昇性というのは男性性の特質のひとつでもある。
 男性性は自らを、世界からある意味分断して屹立させる。
 もはやエゴトリップは徐々に流行らなくなってきているようであるが、名声、権威、そして賞、勲章といったものものは男性性が自らたどり着いた「高み」の証として彼らを満足させる。
 それは霊的に見ればむしろ下降(虚無への流れ)であるかもしれないが、とにかく彼らにとっては「高み」であることは間違いない。
 そこに「山があるから」自分は山に登るのだ、という登山家のマロリーの言葉も男性性にとって典型的なものだろう。女性性にとってはこの手の冒険志向は「かっこいい」対象としてもなり得るものであるが、「馬鹿げた」ものにも見え得る。「なんで山があるからって登らなきゃいけないの?」という事だ。
 本質的に女性性とは現実志向的なのである。 現実的には見えない「夢見る女性」の夢見るものが「白馬に乗った王子様」であるとするなら、実は彼女の夢はこの上もなく現実的なものである。
 これに比して男性性の描く夢は、その飛翔性を特徴としているが、これも女性性から見れば往々にして「馬鹿げたもの、子供っぽいもの、現実離れした(時には不気味な)妄想」ともなり得る。
 男性の生物的安全弁は女性よりも簡単に外れてしまう。
 常識のあっち側に「イッてしまいやすい」のだ。だから犯罪者であろうと、ジャンキーだろうと、性倒錯者であろうと男のほうが行き着くところまで暴走してしまう傾向があるように思う。
 
 男の子(時には大人になっても)は怪獣やモンスターが好きだ。 
 どこかグロくて、なおかつどこかカッコいいものへの嗜好も男性性に特徴的なものだろう。
 これには怪獣の持つ破壊的側面に自らの男性性の攻撃性を投影しているということもあるかもしれないが、なにか異様なものや、通常の「かたち」をあざ笑うかのような異様な存在に、都市(日常)が破壊されていくという物語性が、かたちを変質させ、上昇させるという「火」の性質を引き付けるのではないかと思う。
 また怪獣の一典型はやはり「ドラゴン」である。怪獣の典型が爬虫類系であるということは、男性性のもうひとつの特徴である、「破壊による原始への回帰」も関係してくるかもしれない。
 一方ベッドの横にゴジラやエレキングが(例えが若干古いっすね)いっぱいいる女の子の部屋と言うのは想像しにくい。

 また霊的な世界観においても、男性性と女性性の反応は違う。
 誤解を招く言い方かもしれないが、女性性は安心と守護を霊的世界に求める。
 男性性は、冒険と、脅威と、驚異を霊的世界に求めるのである。 
 なにか自らの存在を脅かすようなもの、価値観をぶっ壊すようなものを霊的世界に投影すると言うのは男性に特徴的なものであるだろうし、実際その側面に接触しやすいだろう。
 それが如実に現れているのは、ラブクラフトのクトゥルー神話体系だ。
 ラブクラフトの神々は「いにしえのもの(Old ones)」と呼ばれているが、彼らは人間の創造者であるが非常にまがまがしい姿をしており、その姿を目撃したものは正気を失うほどである。
 ラブクラフトの認識は、宇宙の真実とは人間の正気が許容できるものではないと言うことだったのだろうと思う。しかし、ラブクラフトの小説の中にどこか歪んだものであったとしても「高みへの愛」や「超越志向」を感じるのは彼の中の火のちからのせいだと思う。

 火のエレメントが強くなると言うことは、物質レベルでの火の発生(もしくは感情の爆発、暴発等)が増加することにもなるかもしれないが同じように霊的な上昇力も強化されていくような気がしなくもない。



fuzi1.jpg




スポンサーサイト
女神の性質 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2009/02/12 10:26
コメント
最近、非常に内容が充実してますね。面白いです。
知っているかもしれませんが、シュタイナーは、火ー上昇原理のことをルシファーと呼び、水ー下降原理のことをアーリマンと呼んでます。
簡単に言うと宗教的な耽溺と、唯物主義のことですが、現代はアーリマンが支配する世の中になっているようです。
リーマンブラザーズにはアーをつけたくなりますね。今の世の中でお金が嫌いな人はあまりいないと思いますが、お金には、人間を物質的な方向に下降させる機能があると思うのです。いわば、資本主義社会は人間の自我を強化してきたのではないかと、
そうかんがえると、今回の金融危機も人類が進化していくための必然だったのかもしれません(by国分太一)。
最近、火事が多いのも上昇原理が強まってきたせいかもしれませんね。
で、上昇原理ルシファーと下降原理アーリマンとの調停をとるのがキリスト精神だといわれています。
即ち、ハートチャクラを開くことがこれからの重要なテーマになのではないかと思います。
あ、ダイジがとっくに言っていましたね。



しらさん、こんにちはv-411

>最近、非常に内容が充実してますね。面白いです。

そう言っていただけるととてもやり甲斐があります。ありがとうございますv-421

>で、上昇原理ルシファーと下降原理アーリマンとの調停をとるの>がキリスト精神だといわれています。
>即ち、ハートチャクラを開くことがこれからの重要なテーマにな>のではないかと思います

あ、そうか、なるほどハートチャクラのこと忘れてました。
このキリスト中枢が△と▼が融合する時の中心点となるのかもしれないですね。ヒントありがとうございます。まったく異質なものが人間のハートで結合するということになるのでしょうか。またこれも考えに入れて思索してみま~す♪

いやーそれにしても今日は暑かったですねぇv-394

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。