卵の中の黄身

我もなく うつし世もなくなにもかも  神の中なる 神のあらわれ  BYダンテス・ダイジ

これは、『魔境』

 最近どこかの掲示板で、対人関係に過敏なことも「魔境」の一種というのを読んで少し楽になった気がした。
 
 「魔境」というのは瞑想をすすめていった人が、遭遇する恐ろしい体験、あるいはそこにずっととどまりたいと思う程執着してしまう恍惚とした境地を言う。禅的な世界ではキリストにあったとか、ブッダにあったとか、そういう類のものは全て「魔境」として切り捨てられる。

 対人恐怖とかその他もろもろの他人がからんだマーヤというのは、ある状況に置かれるとそれと対応した過去からのエネルギーがあがってくることによって起こる。
 人生とは、生を瞑想することであるが、対人的な神経過敏というのもその終りなき瞑想の中の魔境の部分・・・という風に考えて見ることにした。

 もしくは、それは、バッドトリップ。血液と脳内麻薬によってラリラリになった、人生というトリップの中に織り込まれているきつーいネガティブ体験。 
 その中において、何をするべきかというと、全てを見据えるということしかない。
 このトリップと正面から向かい合い、どこにも逃げない。  
 そして逆らわない。
 そして、共演してもらっている人たちを憎まないということ。
 小さいことでも、してもらったことに感謝すること(これは内観療法からの影響かな)。
 自分にとってはそれが課題と勝手に決めて、なんとかやっている。

 実際、人間って、知らない間に無意識に人の役にたったりしてる。
 誰かある人にALLを求めると、それは必ず裏切られるだろう。
 どんなにすごい預言者、占い師、覚者であろうと、その人物に、自分のALLを求めることはできない。

 なぜなら、彼は、私ではないから。
 
 だからALLを求めていると、全ての人に裏切られたという思いを背負いながら一生さ迷うことになる。
 しかし、逆に全ての人に少しづつ助けられているとするならば、全ての人に感謝できるかもしれない。
 
 

 










≪ カルマ・ヨーガ?ホーム沈黙の聖者 ≫

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