スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

ネイティブアメリカンの知恵①

  『イーグルに訊け~インディアンに学ぶ人生哲学~』2003年 飛鳥新社 より




  アメリカインディアンとつきあううちに、私はその世界観に8つの特徴があることに気づきました。
  
まず 一番目は「他力」です。
 他力と言うのはもともと仏教用語で、「すべての生きとし生けるものを救う」という阿弥陀の本願を信じ、それにゆだねなさい、と言う意味です。そして、つまらないことにくよくよ悩んだり、いたずらに未来に不安を感じたり、思い通りにならない周囲の状況にイライラするのをやめて、もっと大きな力に身をゆだねるという生き方を説く言葉です。インディアンたちの生き方には、もちろん阿弥陀仏などという概念はありませんが、本質的にはまさに他力そのものなのです。

 彼らは皆、この世のありとあらゆるものに創造主ワカンタンカがかかわっていると信じています。キリスト教の聖書には、神は七日間で世界を創造したと書かれていますが、彼らにしてみれば世界の創造はまだ終わっていません。
 ワカンタンカは今も世界を創造し続けているし、人間もその移り行く世界の一部であり、一人一人は「創造主の子供」なのです。

 ですから自分の頭で「何をしたい」「何をしなければ」と考えるのは浅はかなこということになります。すべてはワカンタンカのはからいによって生じるわけですから、エゴを手放してワカンタンカの意志にゆだねて生きることが大切なのです。

 「イーグルに訊け」というのは、そんな彼らの世界観を表現する、とても象徴的な言葉だと思います。先の見通しがつかないとき、彼らはよく、イーグルなどの行動から創造主の意思を読み取ろうとします。
 なぜイーグルかと言えば、イーグルは空高く飛んで地上を俯瞰しますから「創造主の目」を意味すると信じられているのです。

 状況を観察し、分析して、もっとも効率のよい方法を考え出すことに慣れている私たちからみれば、なんともいい加減で心細い方法に思えるのですが、彼らと過ごしていると、確かに「結局はなるようになってしまう」のです。
 
 二番目は「感謝」です
 彼らと暮らしていると、彼らがありとあらゆるものに感謝の祈りをささげることに感銘を受けます。
 創造主ワカンタンカに始まり、スピリット、祖先、太陽、月、大地、石、水、そして地球に存在するすべての生き物に感謝することが、インディアンの主な祈りです。

 彼らにはたくさんのセレモニーがあり、そこで心身や人間関係を癒したり、大地とのつながりを回復したりしているのですが、どんなセレモニーにも必ず「今日も一日、すばらしい日をいただいてありがとう」というように、徹底的に感謝の言葉を述べるのです。

 考えてみれば、今日も命をつなぎ、生きる糧を与えられていることは素晴らしいことなのに、私たちはそれをあらためて感じられずに、すぐに不満や不安でいっぱいになってしまいます。その意味で、彼らは当たり前の日々の尊さを思い出させてくれますし、幸せに生きる道を知っているのだと思います。

 三番目は「受容」です。
 これは、身の回りにあるものや自分の身に起きることをすべて創造主からのプレゼントとみなし、全部を受け入れていこうという思想で、西洋を中心とする近代文明的な発想とは正反対です。私たちは現状の問題点を鋭く追及・分析して、それを改善することにより、よりよい社会が構築できると信じています。つまり、常に外に働きかける、積極的な姿勢が求められているのです。

 しかしながら、外部を変えようと言う姿勢は、とかく自己中心的になりやすく、また思ったようにならないと、不平不満につながりやすい、という問題点があります。その結果、暴走したエゴが激しくぶつかり合う、極端な競争社会が出現してしまいました。

 それにたいして「受容」というのは、どんな状況も受け入れてしまうため、ある意味ではとても受動的で東洋的な感じがします。外側に働きかけるというよりは、自分自身の内面を深く追求する、という姿勢です。したがって不平不満を抱きにくく、こころは常に平安に満たされています。
 そのような人が増えてくると、争いが減り、おだやかな社会になる代わりに、経済の成長や産業の発展などはあまり望めなくなっていくでしょう。実は、いまから私たちが向かっていく次世代の社会はその様相が極めて強いだろうと私は考えています。

 ただし「受容」を中心とする受動的な社会は、積極的な社会から攻撃を受けるときわめてもろいことも事実です。そのため、世界各地で先住民の文化は近代文明にずたずたに蹂躙された悲しい歴史があります。

 四番目は「平等観」です。
 インディアンは、この世に存在するすべては創造主の子供であると考えており、その発想から徹底した平等観が生まれています。
 セレモニーでは、祈りの最後に「ミタクオヤシン」と唱えるのですが(ラコタ族、ダコタ族、ナコタ族など)、英語に訳すと「オール・レラティブズ」といった意味になります。それは、私たちが縁しているすべての存在を思い起こし、感謝の気持ちを表す言葉なのです。
 インディアンにとって、「オール・レラティブズ」すなわち「あらゆる親戚」とは、創造主から生まれたものすべてであり、この世のありとあらゆるものを意味します。ですから、もちろん人間だけではなく、動物、植物、鉱物、水、火といった存在するものすべてが、私たちの親戚であり、きょうだいなのです。
  インデァインは植物を「植物の人々」、木を「立っている人々」、石を「石の人々」、鳥を「空を飛ぶきょうだい」、魚を「水の中を泳ぐきょうだい」、動物を「四つ足のきょうだい」と呼びます。
 
 キリスト教文化が中心のヨーロッパでは、人間を万物の霊長と考えて、一段高い位置においています。それとは対照的に、インディアンたちはすべての生命が同格であり、つながっていると説いています。そして、すべての存在が創造主の前では平等だと考えているのです。
 そのような思想を美しく表現した有名な手紙があります。1853年、シアトル酋長がアメリカ大統領に宛てたものです。彼は手紙の中で、白人が面白半分にバッファローを何千頭も撃ち殺していることにふれ、「動物がいなくなって、何が人間だというのか。もし、すべての動物が地上からいなくなってしまったら、人間は魂のひどい孤独で死んでしまうだろう」と述べています。
 彼の、
 
 「人間が命の糸を編んでいるのではない。人間はその中の一本の繊維に過ぎない

 と言う言葉は、近年ますます輝きを増しており、環境問題を語るときにしばしな引用されています。


スポンサーサイト
セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/08/31 20:17
コメント

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。