スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

 先週の土曜日、I先生の7月の修道会に参加。

 天体系マーヤ

 最初の瞑想が終るとすぐに、「どう調子は?」と聞かれる。
 
 「そうですね~この一週間はマーヤっぽい感じでした。」
と答える。
 どこがどうとはうまく言えないが、体調も今ひとつだった。

 I先生によると、先週の土曜日は月が地球に再接近していたことに加えて、太陽風も異常だったそうだ。(宇宙天気予報のサイトを見ているらしい)
 うーん、そういえば先週の土曜日はちょっと変だった。
 バイトの説明会でビルの中にいるときに、突然すごい雷がなりだして、帰りには「落雷の影響と、トラックが路線に衝突した為」電車が一駅づつ停まっていた。雷が落ちた上に、トラックが衝突するなんてめちゃくちゃだ。

 「具体的にマーヤの原因が思いつかないのに、なんかマーヤだっていう場合は天体系マーヤの場合がある。」と先生は言った。

 G・I・グルジェフは、人間は天体の強制力によって動いているに過ぎないと言ったが、最も身近な天体である太陽と月が持つ「強制力」は最も自覚しやすいものだろう。

 宇宙の細胞

 それから人間は、宇宙の細胞だという話しになった。
 この宇宙というのは神の体である。
 もともと神は純粋意識体(プルシャ)なので、何にも依存はしていないのだがその意識体が「宇宙」という身体をもつ局面に至ると、その身体を構成する個々の細胞が必要となってくる。この細胞が、銀河であり、太陽であり、地球であり、植物であり、動物だ。それぞれのかけがえのない部分によって、神の体が構成されている。
 人間は宇宙の免疫機構のようなものだ、と先生は言った。
 これはちょっと意味がわからなかった。

 神とマーヤ

 沈黙が訪れる。
 力が、その場に降りる。
 力が降りると、泣き出す人もいる。
 至福感に包まれる人もいる。
 
 「マーヤがあると、神はない。神がある時には、マーヤはない。
俺の仕事は、神とつながってこの力をこの場に降ろすことだ。
でもマーヤがあると神は降りてきてはくれない。マーヤって言うのは、色のついた水みたいなものなんだ。M君が例えば真っ赤な水を持ってきたとすると、一面がその色に染まってしまう。
 俺がその色になっちゃうんだ。すると神は降りてこない。
 さっき調子どう?って聞いたのは、今日はなんか持ってきてるのがわかったからなんだ。あとで(マーヤを)解いてあげようと思ってたけど、瞑想中に抜けていったみたいだから。」

 神への奉仕

 神への奉仕のひとつは、「神について自分が知っていることを人に話す事」だと言う。これは「ラストバリア」のなかでハミッドが弟子のルシャッドに言っていることでもある。しかし、これはひとつ間違えば、子供を連れてパンフレットを持ち、一軒づつ家を訪問するあの世界になってしまうのではないだろうか。僕がこのブログで、修道会のことなどを書いているのも、こういう「場」があることをそれが必要な人に紹介したいというのは確かにあるのだが・・・。

 何をすればいいかはわかっているが・・・

 「マトリクスの二作目の始めでネオが言うでしょ?何をすればいいかはわかっている、でもどうすればいいのかがわからないんだって
 まったくその通りなんだ。みんなも何が真理であるかはわかっている。でもそれに対してどうすればいいのかがわからない。
 俺もみんなに神の覚醒っていうものを体験して欲しいと思う。でもどうしたらいいかがわからない。だから俺にできる事といえば、こうやってみんなを集めて神様の話しをするくらいだ。
 でもね、それでいいと思っている。なぜならそれがみこころだから」

 クンダリニーで困ってた人の話、委ねる事

 ある女性が、もう10年もクンダリニーが動いたことによって苦しんでいた。普通に仕事をすることも難しい状態だった。

 クリヤ・ヨガではクンダリニーを覚醒させ、サハスララに上昇させることを目的とするが、偶発的にクンダリニーが目覚めたり、正しい師匠の存在なしでそのような状態になった場合は非常に危険な場合があるようだ。
 精神に異常をきたしたり、最悪の場合は死亡するかもしれない。それぐらいのエネルギーが人体内部には休眠状態で存在している。
 実際にクンダリニーの熱エネルギーによる、やけどや発熱が症状としてでる場合もあると聞く。

 その女性は、サイババにも度々会いに行き、7,8回もインタビュールームに招かれた。頭をぽんぽんしてもらったりすると、一時的にはよくなるのだがまたすぐに苦しい状態に戻ってしまう。
 I先生がその女性に相談を受けた時、先生は

 「クンダリニーなんて偶然にあがるもんじゃない。それはあなたに対するみこころなんだから、それに身を委ねるしかない」というように答えた。
 それと同時に、ヨガの本山博氏の教室に行ってみることも勧めたらしい。

 その後またその女性に会ったときに先生が
 「本山先生のところへ行ってみた?」と尋ねると

 「いえ、行ってないんです。先生に言われたように神様に身を委ねようとすると楽になりました。」という答えが返ってきたという。

 神に身を委ねる事は、瞑想中の魔境においても有効な対処法であると、本山博の本にも書かれていた。もはや、これは対処法なんてもんではないだろうけど・・・。あるいは究極の対処法。自分で対処しようとするのをやめること
 その真価がわかるのは、かなりの極限状態においてだろう。
 
 




スポンサーサイト
修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/07/24 12:09
コメント

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。