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カルマ・ヨーガ?

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 私の行為と無行為、存在を神に捧げる。

 私は宇宙の一因子として、存在している。

 私がなしていると思っている行為も、本当は分離不可能なエネルギーの循環の一部かもしれない。

 それならば、「我」の為に行為し、存在するのをやめて、宇宙に(神に)この存在と行為のひとつひとつを捧げてみればどうか。

 自分の目的の為に行為するのをやめて、神に捧げることを目的とするのだ(少なくともこの瞬間は)。

 私は宇宙の細胞の一部である。
 それは極小の一部ではあるが、交換可能な部品という訳ではない。存在するという栄光を始原の時から与えられており、私がいないと宇宙もまたない。

 私は、道路に降り積もる塵と同じように、ベンチにこびりついたガムのように、存在の栄光に浴しながらある。
 雑草のように、またウジ虫のように、私はこの身を宇宙に捧げつくしている。

 にも関わらず、私にはそのことが理解できないから、宇宙にこの行為を捧げようとするなどという小細工が必要になる。
 私はこの塵や雑草とどれくらい違うというのだろうか。
 私は、なぜそれらと、どれくらい違うかということを思い煩うのだろうか。

 ウジ虫にはカルマ・ヨーガは必要ない。
 ウジ虫は生まれながらのカルマ・ヨーギだ。
 ウジ虫の生命は、生命の悦びだ。
 
 挫折を信じた大学生が
 自分のウジ虫のような人生を嘆いてた
 
 海中のヘドロの中の細菌達は
 ウジ虫のような生活に憧れた

 ウジ虫は何とも思わずに
 ウジ虫の生命を生きている


 ダンテス・ダイジ「愛について」より












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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2005/09/15 21:23
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