バクタ、サークル、信頼。

  8月、調子がおかしかったとき、I先生のの個人セッションに行って

  「神さまはM君に、バクタになれって言ってるんだよ^^」

  という言葉をもらった。

  僕はバクタという言葉の響きが好きで、メルアドの一部にも使っている。
  神への愛と献身を、バクティというけど、バクタはバクティを行う人のことだ。
  しかし今では、まったくバクタには程遠い自分がこんなメルアドにしたことをやや恥ずかしく思っていたりする^^;
  神様への愛を感じていたいと思うけど、ちょっと困るとすぐにじたばたと暴れて、天に疑惑の目を向けかねない僕である・・・。
  
 しかし、自分の中の恐怖や不安を克服できるのは、やはりさまざまなレベルでの愛の存在なのだろう。今年最初の修道会で、愛についての話を長い間聴いていた。他の部分はちょっとコア過ぎて出せなくなったけど、ここの部分なら大丈夫かと、お蔵入りになった修道会日記から出してみる。





2月28日の修道会では秘教的な話しが多く、それをブログで書くことが出来なかったのだけど、そんなコアな話しのあとで後半40分くらい部屋のエネルギーの質が変ったような気がした。

 それはI先生が、昔墓石屋さんで働いていた時に、交通事故で亡くなった女性のお骨を別のお墓に移すにあたって、炎天下でその作業をしていた時の話しが始まった頃からだった。I先生はターラ菩薩のマントラを唱えてその女性が『母』の元へ導かれるように供養をしたということだった。すると夜にその女性が現われて、お礼を言って上がっていったという。

 僕は何かその話しを聞いているときに、普通以上に感情が動いて、なまなましくその場を見ているように感じた。
 その後いろんな霊能者との出会いなどがあって、徐々にI先生が、セラピストを経て、覚醒を体験し人を教える道へと入っていったということだが、その出来事がひとつの転機になったという。

 そのあとどういう経緯を辿ったか忘れたが、愛についての話しになった。
 
 
 やっぱり大事なのは神との愛なんだよね。それがあった上で覚醒してこそ初めて、覚醒だと思う。それがないのに覚醒するってサタンのものじゃない、まあ言ったらね。だから例えばマハラジ(ニーム・カロリ・ババ)の『愛という奇蹟』っていう本あるでしょ。あれなんか読んでると厳しい人だけど、すっごいマハラジの愛を感じるじゃない。

 灰:ああ・・・いいですねえ、あれは。

 あの境地だと思うんだよ、やっぱり。ラーマクリシュナもそうだし、ラマナもそうなんだけどそこにある絶対の愛って言うかね、それがまず大前提としてある。絶対的な愛がまず大前提としてある、その上の覚醒だからこそ正しいものになるんであって、それがないところに覚醒したら逆の道往きだよ。

  我々は遅かれ早かれ愛を知ることになるんだけど・・・そのやっぱり・・・愛にさあ・・・生きられるようになるって事が重要なことだと思うから。
 だから今のM君の、わかんなくても、神様があって、その神様を日々感じてることが出来て、マーヤが来たらそれがわかんなくなるから、そのマーヤを取ってそれで神を感じて、愛があってそこで、それで満たされてるってなんて素晴らしいんだろう、これ最高じゃないかって思えることの積み重ねって言うのがM君の人生を完璧なものにしていくと思うし、それがM君にとってちょうどいいところでね、早過ぎずも遅すぎずもしないちょうどいいところで、パンって覚醒すると思う。


・・・・「これ」がもしなかったら自分の人生は恐ろしかっただろうと、もう十分もらってる気がします


 「これ」が愛なんだよ、言ったら。愛だし、M君の中でプチ覚醒っていうのが起こってるわけ、言ったら。それは自分の「感覚」が神を認識できてるってことなんだよ。ただM君は自分のマーヤがまだちょっと強すぎて、完全にそっちに鞍替えすることが出来てないだけのことで。M君のなかで自分のマーヤが完全に取り除かれれば、もうそっちに行っちゃえるわけだよ。その自分を捨てられるようになるか、ならないかってことがやっぱり覚醒のポイントだと思うから。その自分を捨てるって言うか。我を捨てるって言うか・・それは仏教で言うようなそういうことじゃなくて・・・言ったら神のために自分を捨てられるって言うか、愛のために自分を賭けられるって言うか、そういう意識に自分がなった時にね、神に全てをお預けして、お委ねして、どうぞ御身のままにってなった時に、自分のこもごもとしたものを越えて神の力が完全にM君の中に入ってきてその力と一体化すると思うわけ。それが自然な道だと思う。

 俺は思い込みみたいなものはことごとく払拭させていきたいと思うから、俺が教えたいのは、神があること、愛があること、愛が一杯になってること、それでマーヤがあると知ること、でそれを解く事。それを繰り返しやってて、修道会なんかでこうやって神と共に座っていれば自分の中に神の力は流れ込んでくる。その証拠にクンダリニーも動く(笑)その証拠にバキバキにもなる。その証拠に酔いもする。それは今M君の中で天につながるトンネルを突貫工事で掘ってるところだから、言ったら。

 あとM君の中の今のその気持ち、それがあれば遠からずやってくるよ。なんつーとね、また期待が広がっちゃうからね(笑)そういうことでもないんだよな。



 微妙な世界ですね・・・(笑

  ・・・ああ・・・わかる(悟る)ということは、すごいことだけど、やっぱり大事なのは愛だからさ・・・うん。神に対しての、自分に対しての、そして人に対しての、生きとし生ける者にたいしての・・愛のエネルギーって言うのはものすごいエネルギーだから、そのエネルギーは完全に自分を変えてしまう力を持ってるから。
 

 灰:愛って言うのがわかってなかったんだなってことが、ちょっと分かってきたような気がするときがあります。本当はちょっとバケモノ的なところがある言葉ですよね

 うん、愛の真の姿・・・言葉じゃなくて、言葉を越えたその言葉が指し示すもの・・・

 灰:それが少しづつ自分を変えてきたのがわかります。

 そうだよ・・・愛によって人は生かされて、そしてその愛に気付くことによって人は変わっていく・・・ね?今この部屋にみなぎっているこの圧迫感。これは愛そのものだよ。

 灰:リアルなものなんですね。

 こんなにリアルだ(笑)これが神なんだよ、だから。これがすべてを支配してるから、本当は問題なんてなにひとつないんだよ。

                                    2009/2/28




 この日に感じたエネルギーのようなものはとても強く、ふらふらしながら帰宅した。  
そして覚醒のタイプについてや、その他のコアな話しを聴いてるのは大変面白かったが、直接にハートを溶かされるようなこの愛のエネルギーの強烈さをひしひしと感じた。
 なにか口を開いて喋ると、そのまま泣き出しそうな感覚に襲われた。

 2007年の最初のリトリートに参加したときもそれをリアルに感じた。

 いつも通り様々なドラマや、波乱があった二泊三日の最後のセッションでI先生は『みんな、美しいよ、美しい』と言った。その時に胸の中からこみあげてきた泣きたいようなあの感覚はなんだったのか。実際に、床に伏せって泣いてる人もいた。セッションの途中部屋に入ってきたスタッフの方は、すぐその場のエネルギーに気づいて、胸に手をやって「・・・すごいね」と言っていた。

 その頃から、次第に『愛』とか『智慧』と呼ばれるものは抽象的なものではなく、実体をもったバイブレーションなんだと、実在するリアルなものなんだとはっきり思うようになった。その振動で揺れている空間、その振動を発している人、それは確実に存在している。

 だからこそ、例えば集団を巻き込んでそのような熱狂を繰り広げた「和尚」はあちこちの国で入国を禁止されたし、「イエス」も時の為政者から迫害されたのだと思う。だから永遠の哲学(=神や悟りの教え)は半ば秘教的に教え継がれてきた。
 でもおそらく現代という時代は、多くの覚者が世に出たり、また準備が出来ている人には肉体を持った師に会わなくても自然と目覚めが起こるような時代に入っているのではないだろうか。

 それがよく言われている「アセンション」と同じことなのかは僕にはわからない。
 ただ現代は、多くの人にとって修行の最終ステージなのではないかと、漠然とそんな感じがする。
 だからこそ多くの秘教的だったことが明らかになり、そしてそれらが統合へと進んでいるような気がするのだ。

 そこで、自分にとって道を歩むためにいつも大事なキーワードとして出てくるのが、どうやら「愛」であるとか「信頼」であるとからしい。
 しかし、愛の中で自分を捨てるとか、越えるとかというところには果たして行き着けるのかと思うし、今そのことを考えると恐怖すら感じる。

 それは「死」の問題とも関わってくる。

 だが今は直接対決はしないことにしている。
 なるべく生命であるとか、つながり、に意識を向けていたい。

 最近よくサークルと言う言葉が浮かぶ。
 趣味のサークルとかそういう意味ではなく、サークル(円環)をつくるということがいろんな意味で重要なのではないかと思う。
 安定したエネルギーの流れは、サークル型になっている。
 円卓は昔会議などでよく使われたし、虹は本来円形をしているという。

 エネルギーはただ自分が一方的に受けるのではなく、受けたものは形を変えて、また相手を変えて次に回していく。そうすることで自分が導管になる。するとそれは巡り巡って自分のところに帰ってくる。それを繰り返すことによって全体のエネルギーが向上していく。
 つまり全体が導管になってさまざまなものを回していけば、いやが上でも全体の幸福度は高まらずにはいられない。そんなイメージがよく浮かぶ。
 エネルギーの流れがサークル型になっていない、ピラミッド状だと、上に行くほどエネルギーが集まり、小数の幸福が多数の犠牲によって成り立つと言う構図になってしまう。

 まあ言うは簡単で多くの人がそんなことはわかっていると思うけど、それを実行するのがいろんな制約で難しかったりする。でもなるべくそういう意識で生活したいなーと思う。

 それに関しては、ネイティブアメリカンの伝統が語っているように、すべてを兄弟姉妹(人間だけではなく生きてるものすべて)ととらえるというのはとてもいいのではないだろうか。
 神という視点から見れば、植物も、動物も、また自分がちょっと苦手な人も、好きな人も、ひとつの絶対なるものを母体として生まれてきている。すべてはつながっていて、相互依存して存在している。

 日本はまだどこか競争社会なので、人より優れているか劣っているかというところで判断してしまいがち。しかし本来兄弟姉妹であるなら、ベースは平等であり、またサークル型の世界がつくれても不思議はない。 勝ち組や、負け組と言う言葉があるけど、それはサークル型の世界では出てこない。

 だってそもそも兄弟相手に勝った負けたもないもんだし、
 物質的に多くのエネルギーを得ると言うのが勝ちなら、困った人を応援する責任を負うことになるよ。 

 実際に社会が変わるには時間がかかる。
 でも、自分の頭の中だけでも、生きている仲間との平等なサークルが出来れば、その為に祈りたい気持ちになれれば、少なくともそのことが小さな救いとなるように思う。

 よく文章を引用していた「イーグルに訊け」には、こんな祈りの言葉が載っていた。
 時々眠る前にローソクを灯し、これを唱える儀式をしているw


ありがとうございます。ありがとうございます。ピラミア。すべての愛に、人生のあらゆる瞬間に与えてくださった無条件の愛に、ピラミア。あなたの理解の深さに感謝します。生きる道を理解すること。あなたの目を通して人生を見ること。愛、あなたからいただいた無条件の愛を感じること。また、そのように愛することを学ばせていただいたことに感謝します。 偉大な師であられますことに感謝します。

 わたしの祈りを聞いてください。おじいちゃん、おばあちゃん、トゥンカシュラ、イーナ。人生の真ん中に立つと、あなたがわたしの上にも、下にも、そして、わたしの回りにいつもいらっしゃるのがわかります。おじいちゃん、おばあちゃん、私が星の国や、私より先に歩んできた親戚の皆に、そして、私のあとについてくる7世代のすべての人に取り囲まれているのを知っています。私を守り、見守っていてくださることに感謝します。あなたの解き放つ光で、すべての生き物を包み、抱いてくださることを感謝します。

 私の祈りを聞いてください。あなたの目を通してものを見、あなたのこころを通して感じ、私たちがすべての生き物とつながっていることを決して忘れぬように、力を貸してください。そして私たちがどんなに特別な存在であるかを決して忘れませんように。私たち一人一人がかけがえのない存在であり、私に代わるものはなく、あなたが命を与えてくださった子供の一人であることを決して忘れぬように力を貸してください。この世に私は一人しかおらず、この世を去ったあとも、私にかわるものはいないでしょう。ですから、私に力を貸してください。あなたのすべての子供たちが、自分たちの命を精一杯使って生きられますように力を貸してください。そうすれば、喜びと健康と笑いがあふれ、尊敬と分かち合いが満ち溢れます。そして、それをすべての兄弟姉妹とわかちあうことができます。どうか私の祈りをきいてください。

 今日の日に感謝します。私が生きてきたすべての日々に感謝します。私が受け取り、経験させていただいたすべての贈り物に感謝します。

 私の祈りをきいてください。あなたに感謝するために祈ります。ピラミア。ありとあらゆる生き物のために祈ります。すべての生き物があなたの声に耳を傾けますように。すべての生き物にあなたの歌が届きますように。すべての生き物に、今よりもっと素晴らしい世界、新しい世界が待っているという希望、大きな希望があることが伝わりますように。これが、私の祈りです

 Ho Mitakue Oyasin Ho Mitakue Oyasin Ho Mitakue Oyasin
  (わたしたちは すべてのものに つながっています)



 一部を抜粋
 ピラミア:ありがとう
 トゥンカシュラ:神、おじいさん 


 誕生日前、もらったドリーン・バーチュのカードを一枚引く

 
090911_2249~01



 Trust(信頼)

 ●あなたは正しい道を歩んでいます。

 そうだといいなあ(T T

 ピラミア☆


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修道会日誌 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2009/09/12 22:18
コメント
サークルは輪であり、輪は和に通じる。と神道的ダジャレでこじつけてみると、今世界に求められているのは「和の精神」ではないか、と思ったりもするのです。
映画「おくりびと」が世界で評価されたのも日本的価値観、美意識といったものが、世界に受け入れられつつあるということなのかもしれません。
大和ってワンネスのことだったりして。
 >しらさん、コメントありがとうございます♪

 まさに輪は、和だと思います!
 日本は戦後60年、なんちゃって平和でしたけど、段々「平」だけが残り「和」が消えて行きましたね。そして最近は「平」もかなり危なくなって来てます。

 ネイティブジャパンの価値観はネイティブアメリカンの価値観とかなり通ずるものがあると思うんですよね~。ホピの預言では太陽と卍のシンボルを持つ民族が重要な役を担うとされていますね。彼らによると、日本にはホピ(平和)のサインを持った人々がたくさんいるそうです。

いい祈りですね
また、かなり以前に書かれたブログのコメントで、すいません。

生命の贈り物の祈りを、4ヶ月くらい実践し、

ある意味、たしかにカルマの浄化、爆発みたいな感じですが、

個人的には、ここで紹介されている「イーグルにきけ」の祈りの方が、ハートの琴線に触れるものを感じるというか、

おおげさに言ってしまえば、僕の人生の中で、一番感動した祈りですな


今後は、日々、神様を想起するためにも、この祈りを朝昼晩、活用させていただこうと思います。
Re: いい祈りですね
>迷える子羊さん、こんばんは^^

 いい祈りですね!(-人-) 僕も好きです。

 これはごく一部で、全体は結構長いんですよ。
 オリジナルは英語で、ネイティブのヒーラーの女性(だったかな?)が祈りを唱えるCDが『イーグルに訊け』という書籍についてまして、それを和訳したものですね。CDとてもいい感じです。

 いつもありがとうございます☆

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