マニュアル。

 昨日、美容室で髪を切った。
 シャンプーをしてもらうときに少しブルーになったのだが、、
 シャンプーにさえ、トークスクリプトがあるんだな。

 頭の位置はこれでいいですか?
 
 「あ、はい・・・」

 苦しくないですか?

 「あ、はい・・・」

 お湯加減はよろしいですか?
 
 「あ、はい・・・」 

 僕は、「あ、はい」しか言えない。
 シャンプーを泡立てて、髪をゆすいでいる時に今度は

 「ゆすぎ足りないところはないですか?」
と聞かれた。
 ゆすぎ足りないところって・・・俺に聞くなっっ!そんなもん、こっちからわかるかいな。 
 と思ったが、

 「あ、はい、・・・・多分」と僕は言った。
 なんか全体的にゆすぎ足りていないような気がしてきた。

 しゃべりのマニュアル(トークスクリプト)というのは、大きいコールセンターとかでサービスや伝える情報を均一化させるためには必要なものかもしれない。しかし、美容室のシャンプーにまでそれを導入する必要が果たしてあるのだろうか。
 
 機械に質問されているようで、あまり心地の良いものではない。
 
 あまり電話対応の経験がない人にマニュアルをすごく勉強させてから、実際に電話に出させると、すごく融通がきかない感じになったり、想像力がうまく働かなくなってしまうことが、ままある。
 もともと、マニュアルは定石を学ぶためにあるものだと思うのだが、マニュアルの方に意識を奪われすぎると、現実をマニュアルに合わせようとしてしまうようになる。そうするとあくまでマニュアル通りに対応を強引に終了させようとして客をキレさせ、クレーマーを作ってしまったりとかする。

 これは問題を発生させないようにするための装置が、逆に問題を生んでしまうという皮肉な話しだが、こういうマニュアル的な風潮は拡大しているように思えてならない。
 マニュアルに囚われた状態は、管理化され、機械化された状態である。

 『人類の現況には、進化が進みつつあることを示すものは何ひとつない。
 それどころか、人類を個人と比較してみるなら、本質を犠牲にして人格が、つまり人工的で真実でないものが生長していること、また、自然で真実なその人本来のものを犠牲にして外部からきたものが生長していることをきわめてはっきりと見ることができる


 『現代文化は自動機械を必要としている。そして人々は獲得した自立の習慣を疑いの余地なく失い、自動人形に、機械の一部になりつつあるのだ。
 これらすべてがどこまでいったら終わるのか、また出口はどこにあるのか、いやそれどころか終りや出口があるかどうかさえ言うことはできない。一つだけ確かなことがある。人間の隷属状態は拡大し続けているということだ。人間は喜んで奴隷になっているのだ
。』

グルジェフ「奇蹟を求めて」p478




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未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2006/08/03 12:11
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