ドアチャイム、アメニモマケズの「てい」で

 ドアチャイム



 夜勤明けと給料日のダブル解放感で、吉祥寺のマルイの近くの雑貨屋さんでドアチャイムを買った。
 (っつっても1000円くらいのもんw)

 カーテンをくぐると、結構高音でちゃりん、ちゃりん~♪と鳴ってくれる。
 実は比較的低音でなる商品もあり、迷ったが、結局高音に引かれてこっちを買った。
 涼やかな感じが強い。


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 こういうドアチャイムは、ECCOのセッションハウスの玄関にも吊るされていて、初めて行った時こりゃいいなーと惚れ込んでしまい、いつか買ってやろうと思っていた。

 家帰ってきたとき必ず、この音が迎えてくれるって言うのはなかなか良い意識の切り替えになるんじゃないだろうか。ECCOではタンクに入る前の浄化にもチベッタンベルなどの音を用いるし、音に対するこだわりがとても感じられる。

 なんか雑貨屋さんを一周していろいろ見たけど、こういう、直接生活には役立たない(かに見える) 生活の中のArtっていいなーと思った。
 単に実用的なものだけを並べていると、息が詰まることもあるので、ちょっと異世界観を感じられる小物とか、木のぬくもりを感じられるものとか、遊び心があるものとか、そういうのっていいっすね。

 それは別に買ったものじゃなくても、自分の発想と手づくりである程度できるんじゃないかなーとも思った。

 豊かさ・・・・っていうのは もちろんお金がなきゃ始まらない的なところもあるのだが、なんか一見実用的な役にたたなさそうな、きれいなものとか、かわいいものとか、癒されるものとか、そういうものと生活の中でともに生きているということじゃないかと思う。

 例えばワーキングプア的な環境にあったとしても、その人の部屋にひとつでも鉢植えの花があるとか、楽器があるとか、絵が飾ってあるとか、キレイなお皿とかワイングラスがあるとか、そういうことでまた違った現実が見えるんじゃないだろうか。

 一言で言えば、生活の潤いっていうことかもしれないけど、コンビニのお惣菜でもそれをプラスチックの容器からそのまま食べるのと、ちょっと面倒だがお皿に移してから食べるのとでは大げさに言えば違う食べ物になると僕は感じる。

 別の食べ物なんて気のせい? いやいや、「気」が違うっていうのが大きいのではないか。

 では、何が違うかというと、ひとつは機械的に製造されたものに、自分のエネルギーを少しでも注いでいるということ。
 もうひとつはやっぱりプラスチックの容器より、お皿に盛ったほうが美しいというArtの要素だと思う。

 お金がなくてもそういうやろうと思えば、すぐに触れられる豊かさがたくさんあるんじゃないかと思った。
 逆にお金があっても、寒々しい部屋や環境に住む事だって出来る。
 やっぱり意識の問題か??

 簡単なのはやっぱ 駅前とかで売ってる花を飾る! これは明らかにいい感じになりますね~~。
 出来ればお金持ちでArtな生活がいいが
 無理なら貧乏でArtな人になるのを目指そうと思う(笑)
 これは工夫次第で、実現できるはず。。。

 実用的でないと書いたけど、こういうのは本当はひどく精神的にはひどく実用的なもので、生きる悦びに直結しているものではないだろうか。
 そう、「文化」とも言うかも。

 最近はヘルパーの仕事で簡単な料理をするので、自分のご飯もたまに作るようになったりしてようやく自炊に目覚め始めた。スーパーのお弁当より、家で作った料理のほうが元気になる。なんでかな?やっぱり自分でエネルギー入れてるのかな。
 料理もなかなか、楽しい。新しい包丁が欲しい(笑)

 

 アメニモマケズのていで 

 なんとかの、ていで・・・てよく楽屋オチ的にバラエティ番組の中で使われる。

 どうも「・・・という設定で」という意味らしい。

 アメニモマケズのていで・・・というのは、本当にアメニモマケズみたいな生き方をしようとしたら無理が出るので、ちょっとそういう設定で意識して生きてみようかという意味。中でも今ちょっとツボなのは、

 欲ハナク
 決シテイカラズ
 イツモシズカニワラッテイル・・・・・

 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニイレズニ
 ヨクミキキシワカリ


 のなかの

 欲ハナク

 である。

 最初から言うと、欲をなくす、とか無理やと思う((´∀`))

 だが、最近ギータを読み返したところ、『欲』というのがあるレベルの苦しみの原因であることがはっきりわかった。

 「それではクリシュナ、人間は何に命じられて悪をおこなうのか?望みもしないのに。まるで力づくで駆り立てられるように。」

 聖バガバッドは告げた。
 それは欲望(カーマ)である。それは怒りである。ラジャスというグナから生じるものである。
 火が煙に覆われ、鏡が汚れに覆われ、胎児が羊膜に覆われるように、この世はそれ(欲望、怒り)に覆われている。
 知識あるものの知識はこの永遠の敵に覆われている。アルジュナよ、この満たしがたい火によって。


 基本的に、この文明はラジャスの火によって回転してると僕は考えている。
 だから、人が陥るマーヤの質も「必要もないのに煽られる欲望」に起因している場合が多い。
 もっと多く、もっと豊かに、もっと美しく、もっと独創的に、もっと便利に、もっと速く、もっと安全に、もっと・・・
 というわけだ。
 
 とにかくこの炎のエネルギーにより、歴史を加速化するというのが宇宙のプログラムだったようなのでそれに文句をつけてもはじまらないのだが、あえてだまされる必要もない。それがわかれば出来る人だけ火の車の回転するゲームから降りてゆき、風と水が木々を育てるナウシカの「風の谷」に戻ればいい。

 僕はお金が欲しいとか、異性とエッチなことしたいとかいう欲望を否定することがよいと思ってるわけではなく、それらへの妄執によって身を焼かれるのが疲れることだと思う。海外に旅行に行きたいとか、車欲しいとか、家が欲しいっていうのもそう。

 そりゃー欲しいですよね。
 でも、苦しいほどに欲しがることもないでしょ。
 手に入らなかったらどうしようって怖がることもないでしょう。
 将来こうならなかったらどうしようとか
 こうなったらどうしようとか

 そういう風に恐れるなら、欲を捨てた「ていで」今与えられている豊かさに全開でオープンになってみたら気持ちいいーんじゃないかと、そう思った。
 で、無欲というか、(欲望に振り回されない状態)っていうのが here&now なんじゃないかと思った。
 欲望はあるのだが、それがトリックだとわかっている意識というか・・・・・
 欲望を真に受けていたら、それは満たされざる「怒り」へと変質するっていうこと。

 感謝も、その今ここで感じる「しあわせ感」から来る。

 なんか欲望から自由っていうのが、すごくコズミックな感じがする。
 と同時に宇宙的には当たり前なのではないかと思う
 木とか植物の意識って、多分「今ここ」だけだと思うのだが彼らとつながろうとするなら、何も期待しないとか、多くを求めないっていうことが鍵になるのではないか。
 
 これを思ったきっかけは、とにかく停滞気味、停止気味だった1,2年のサイクルが終わったのでとにかく今年はいろいろチャレンジしようと意気込んでいたのだが、なんか先の計画だけ考えてストレス気味になっていたこと。

 エドガーケイシーによると

 「不安は、何によって生き、何を理想とすべきかまだしっかり定まっていないことから生じる。

 ということ。
 僕の場合も就職してがっつり働いている人とは違って、生活できる分は働いているが、暇な時間を多めに組んでいる。自由な時間が多い分、将来的にどうしようかとか、こっちに行こうか、あっちに行こうかという葛藤もやはり多い。

 まあこれでものすごくはっきりした夢とか目標があるのならば、少しづつそこに至る努力をしつづけるということで
葛藤は解消すると思うのだが、その辺も暗中模索というかふらふらしてるのでやっぱりケイシーが言う意味での不安というものとは縁が切れない。
 
 僕の場合はそんな具合だからラジャスの「火」に焼かれると、とにかく今の状態を闇雲に脱却したいというかそういう感じになるのだけど、そうなると現在を拒絶しているので結果的に関わる他者に対しても拒絶的になっている感じがする。
 「今、ここ」との一体感がなくなるので、仕事上で関係性がぎくしゃくしたり、つまらないミスをしたりすることが多い感じだ。

 (ただ過労死するくらいラジャスチックな環境で働いてる人は、それに対して拒絶的になってもある意味正常な、生命としての自己保存本能だと思う。なんでも、どんな環境でも受け入れるのがいいとは思わない。その基準は・・・神様に聞いてくださいませ)


 でも無欲の「てい」でやるべきことをやっていると、とても楽に生きられるような気がする。
 今年はやりたいことは積極的にやってみようと思うけど、なるべくこれが職につながらないか・・・とか、なにかのきっかけにならないか・・・とか欲をかかないでやってみよーと思った。

 今日は歌のレッスンだった。
 「火」にやられていたら、こんなことやっててもしょうがない、、、とすら思いがちだが、
 無欲の「てい」で行くと、今与えられてることなので全力でやろうという感じで、すごくいつもより集中できたような気がする。
 無欲の「てい」で行くと、「今」が豊かになるというパラドックスがある気がする。
 
 これは一見実用的でないちょっとしたもので生活の喜びががらっと変わるということと、ちょっと似てるかも。
 もともとArt(美)は「今」に目を向けさせるものだと思う。


  海に水が流れ込む時、海は満たされつつも不動の状態を保つ。
 同様に、あらゆる欲望が彼の中に入るが、彼は寂静に達する。欲望を求めるものはそれに達しない。

 すべての欲望を捨て、願望なく、「私のもの」という思いなく、我執なく行動すれば、その人は寂静に達する。
 バガバッド・ギータ 2章

 の「てい」で行ってみよ~(`・ω・´)

 僕はクリシュナをバックシートに載せたリムジンの運転手。

 の「てい」で今日も出勤。
 大事な人を乗せてるから注意深く、指示があったらいつも聞けるように、集中して。

 ちりんちりん~♪

 オーいい音。


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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/04/10 16:05
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