水の旅人~天河大弁才天へ~


 高い山の中を流れる渓流はきれい
 降ったばかりの雨を集めた流れは
 穢れなどつゆ知らず
 無垢で楽しげな歌をくちずさみ
 春の花びらと
 戯れながらながれゆく

 生まれたばかりの水の子供たち
 
 しかしふるさとを離れ
 山を下るにつれ
 流れは少しづつ淀み
 濁ってゆく

 人間が投げ入れるゴミ
 動物たちの死骸
 少女の流した悲しみの涙
 
 そんなものも黙って飲み込んで
 川はさらに流れていく

 もう無垢な渓流は消えうせ
 濁った流れはいくらか不機嫌に呟きつつ
 流れているように見える

 さながら黙々と日々の勤めに従事する
 人のように
 コンクリートに囲まれて

 やがて河は徐々に太く
 水かさも増え
 平野をうねるように流れる
 大河となる
 それはもう不機嫌には見えない

 悲しみも 喜びも
 うつくしいものも
 醜いものも
 その中に受け入れて来た河は
 慈悲深く
 淀みの内にも多くの命を養いつつ
 威風堂々 流れゆく

 人は時に河を恐れ憎んだ
 ある夏の日に 無慈悲にも
 子らの命を飲み込んだ河を

 しかし
 その同じ河の恵みにより人は生かされ
 やがて月日がめぐると
 同じ河のみなもで
 新しい子供たちが
 まぶしい夏のひと時を過ごす

 人はこの大きな河を 畏れ
 また愛した
 
 河は微笑を浮かべ流れつつ
 知っていた
 やがて流れは海へと消えていくことを
 河はそれも知り 微笑んでいた
 河は死を恐れていなかった

 なぜなら

 私は自らその威光を誇る
 大河になるため生まれた訳ではない
 私はこの大地をすべてを潤すために
 天地を巡っている
 今私はそのことを知っている

 行き着く場所も
 帰る場所もありはしない
 私はすべての命を潤すために
 流れ続ける
 
 私はやがて大いなる源へ還る
 そしていつかまた雨となって
 あのふるさとの山へと
 降り注ごう

 もう一度
 何も知らぬ無垢な流れとなり
 もう一度
 濁ることの悲しみも知り
 もう一度
 すべてを受け入れて
 大きな流れとなり人々を潤そう

 私はめぐる
 私はただめぐるのだ

 ワタシハ 愛の ナガレデアリ

 愛とは 天地の メグリデアル

 ワタシハ 天地の尽きる時まで

 メグリ続ける 命である


 遠くから汽船の音と カモメの鳴き声が聴こえてくる

 大いなる輝きが私を呼んでいる


                         
                              2008 Aug 天河弁財天参拝後に

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詩集2(火水の子供たち) | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/02/09 23:58
コメント
ひふみ神示でも“水(恵み)は低きに流れる”ってありますね

そうありたいですね
Re: タイトルなし
> すうぇい様

コメントありがとうございます♪
水はよーく考えてみると、とても不思議な存在じゃないかと時々思います。
火も土もそうかもしれませんね。「お土光るぞ・・・」
ひふみ神示は、通常僕たちが当たり前だと思っているものが神秘と驚異であることを説いているようにおもえることがあります。


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